とろけたバター

 陽が高くなって来ているのはなんとなく感じていた。それでも土曜の朝だ、という開放感と昨晩からの気だるさで日光から逃げるようにシーツの海の奥に潜り込んでいた。一人には広すぎるシーツと毛布の中は自分の体温で快適に温まっていて、ここから出られる気がしない。枕と枕の間に顔を挟んでいたのにいつの間にか物音と、身に降りかかる陽光で眠りが浅くなっている。両手を伸ばしても携帯は見当たらないし、このベッドの持ち主も帰ってくる気配もない――そのせいでシーツは自分の体温よりも温まらない。この部屋の主であるところの七海と同じシーツの中にいると、どうしても彼の代謝の良さのせいか私には少し暑すぎるくらいになってしまう。夜ごとに暑い、といってシーツから爪先を出すと彼の長い足でしまい直されるのにもすっかり慣れてしまった。
 目も覚めてきたし、七海がいないことに気付くと肌寒い気持ちすらしてきた。起きようか、どうしようか迷っていると薄くコーヒーの匂いがリビングルームから漂って来る。きっと七海はもうとっくのとうに起きていて、シャワーを浴び直してきちんと朝を過ごしているのだろう――私が来ない週末のように!たいてい、土日に彼がメッセージをくれる朝は私はまだ眠っているか、出張の帰路で、それに呆れられた結果高い頻度で金曜夜からこの部屋に呼ばれるようになってしまった。なんだかんだ合理的な理由をつけながら――彼の家のほうが、東京駅からの距離が近い。職場であるところの高専からは私の家の方が近いのだが彼はそんな不都合なことは言わない――金曜は仕事の後そのままうちに来てはどうか、とまるでそれが最適で、当然そうあるべきでは?と言い出しかねない調子で七海は誘ってくる。私は彼のそういう側面が好きだった。
 枕の片割れの持ち主を思い出しながら、七海の使う方の枕を抱きしめれば鼻腔に七海の肌の匂いが広がって、やはり少し寂しい気持ちがして鼻の奥が痛む。彼の愛用するボディソープの匂いが彼の肌であたたまって溶けた匂い、森みたいな匂い……七海はその表現に対して森ですか、と笑っていた。同じものを使っても自分からは立ちのぼってはくれない。この場でななみい、と彼を呼べば彼はきっとすぐ寝室に来てくれるだろうけれど、そうするまでもない。彼は彼で朝の時間を過ごしているだろうし、と思い身を起こす。いずれにしても、少し肌寒かった。昨晩の名残のまま、かろうじて下着を着直しているだけだ。
 ベッドの近くの椅子には七海のシャツと、それから昨日私が着ていたワンピースが無造作に掛けられている。すん、と鼻の奥がくすぐったく寂しい気持ちが続いていたので、迷いなく七海のシャツに手を伸ばした――サックスブルーのストライプのシャツは少し固めの手触りのまま、糊が落ちかけていてどこか柔らかい。勝手に袖に手を通して羽織って数個ボタンを留める。全然袖が足りないし、襟元だってゆるゆるだ。子供の時に父親のシャツを羽織ってお医者さんごっこをしたっけ、と思いながら袖を適当にたくし上げて毛布に包まり直す。七海に抱きしめられているほど暖かくはないけれど、似た匂いがして落ち着く。枕ではなくてシャツだと日中の香水の匂いがわずかに残っているのもあるかもしれない。しかし、この匂いに抱かれている時はだいたい外でのデートのときで、最後の外でのデートのことを思い出しについ目を閉じてしまう。先週は外で夕飯をいっしょに食べて、酔っ払って少し一緒に散歩して――首都高の下を横断する歩道の中洲で赤信号で取り残された時に抱きしめられたときに一番この匂いがした。

***

 もう一度気がついたときには自分の背中に沿うように七海が居て、彼に後ろから抱きしめられながら眠っていた。再び七海は眠りに落ちていて、自分の首の下に回された腕のニット生地がくすぐったい。身じろぎをすれば想像よりも彼の眠りは浅かったようで、寝息が途切れて小さくため息が聞こえる。おはよ、とため息の主に挨拶を返せば、半分だけ覚醒したおはようございます、が返ってくる。それと同時に自分に回された腕の力もいや増して居て、距離がもう少しだけ近くに、そしてシーツの上にあった片手はシーツの中に潜り込んできていた。

「……私のシャツだ」
「寒かったから」
「足しになりますか?」

 七海の手はシャツの上を滑る。まるで自分が脱ぐかのようにボタンに指がかかるのがわかる。シャツとキャミソール越しにも七海の手の熱が伝わってきて心地が良い。わざとらしく前立てのボタンの間を指で辿られている。小さく自分が息を呑んだのも七海にはきっと聞こえていて、ニットの腕枕の先が肘で折り返されて、右腕もシャツの前立てにかかるのがわかる。七海がこだわっているボタンがひとつ、またひとつと外されているのはわかるけれど、その後シャツの前を開かれても全然寒くない。暖かいシーツの中で熱い七海の手がキャミソールの上の自分の腹部を撫でている。心地よい感触だった。

「……なんだ、下に着ていたんですか」
「やだあ、七海のエッチ」

 昨日着て寝たじゃない、と言って撫で回す七海の手の甲を掴む。掴めなかった方の腕はシャツの下――キャミソールの肩紐に指を掛けている。ぴ、と少し引っ張って離して、そのまま中には入ってこない。腕枕をしたままだから、そこから中に滑り込ませるには無理な体勢だ。

「私のシャツを着て寝ているので、誘っているとばかり」

 七海の手が私の制止を振り切って、裾から肌に触れる。乾燥した指が自分の下腹部をゆっくり撫でる。その手付きははっきりと昨日の続きを示していて、返事をするのももどかしい。彼の手首のニットが手の動きに追随して産毛を波立たせるのも心地よい。

「そんなつもりはなかったんだけど」
「そうですか、ではなぜ」
「……起きたら一人で寂しかったから」

 目が覚めたらしい七海は私の向きを変えようとしながら髪にキスを落とす。昨日のまま、いくらかくしゃくしゃになっているだろう髪。それすら許されている心地だ。耳の上から、額へ――七海の唇が移動するとともに私の身体も手繰られて七海の方を向くように導かれてしまう。それとともにボタンの外されたシャツも七海の手に絡め取られている。最後には起きて、と囁かれて身体を浮かせば、衣擦れの音を立てながらシャツは七海の手に回収され、そのまま向き合うようにシーツに戻された。腕枕はそのまま、片手はいつのまにか半分くらいキャミソールを捲くりあげている。

「あーあ」
「嫌でしたか?」
「七海の匂いがして、よかったのに」
「私がいるのに?」

 もちろん本人のほうがいいに決まっている――眼の前に広げられたニットの胸元に顔を寄せれば、朝シャワーを浴びたのが明確にわかる匂いがした。ボディソープの匂いがしていて、まだ洗いたてだ。それから合わさるように洗剤の匂い。七海の昼間の匂い。

「だめだ、また寝そう」
「せっかく今日はブランチの支度をしているのに」
「毎週そうじゃん、今週もバゲット?それともサワーブレッド?」
「バゲット」

 私の髪を手で梳きながら、七海は額の上から頭頂部に顔を寄せている。つむじをちゅう、と吸われている。七海にこれをするとあまり見るな、と言うくせに、私にはいつもしてくるのだ。単純に身体差を考えるとそうなるのが自然ではあるものの、ベッドで抱きしめるときくらいてっぺんを見たいと思うのは当然な感情だ。

「今週はいつ買ったやつ?」
「水曜の帰り」
「やあだ、歯固めみたいなやつだ」

 先週だったか、先々週だったか、かちかちのバゲットを薄く切ってサラダの中身を載せたオープンサンドを食べていた。だいたいの週末は七海の週後半に買った大きいパンの残りを食べて、土曜か日曜か、出かけた帰りに新しいものを買う。それの残りが彼の週前半の朝食になる。彼の出張の週は少し変わるのだけれども。前回はそれが酷く固くて、歯固めみたい、と文句を言ったのは覚えている。保存料が入っていないせいで、乾燥しているこの家では数日放っておくとかちかちに固まってしまう。なので薄く切ってオープンサンドにしたのだが――薄く切ったエメンタールチーズだけはマッチしていた。

「またそう言い出すと思って、今日は特別です」

 起きれた子には教えて上げましょう。そう言って七海は捲れたキャミソールの下に手を伸ばす。つるつるした生地のキャミソールは肌に吸い付いていたけれど、七海の手がゆっくりその癒着を離していく。
 夜に脱がされる時はいつも肌寒い気がするのに、こうした午前だとあまりそういう気がしない。いつの間にか七海の唇は額に降りてきていて、片手が上を向くように顎をくすぐっていた。素直に従って顎を持ち上げれば、額のきわ、額の真ん中、眉間……順を追って七海の唇が降りてくる。鼻梁に差し掛かると同時に肩までキャミソールもたくし上げられてしまっていた。やっとの気持ちで唇に到着するそれを待てば、わずかにコーヒーの味がする。七海の朝の匂いだ、と思いながら何度か唇に触れる感触を楽しんでいるとぬるりと舌が乱入してきて起床を促してくる。
 起きれた子には、だなんてもったいぶって言う割に、彼の手は起こす気など全く無いかのように自分の身体を撫で回している。薄く目を開ければ、翠の目も下ろされた前髪の向こうで小さく開かれていて、視線が合うと少しだけ見開かれる。質問のようなその動作に応じるように瞬きを返せば、それが合図だったかのように彼の指先が私の乳首に触れた。正直なところ、彼のシャツを着てデートを振り返って眠るのはあまり夢見がよくなかった。安心こそしたけれど、その時の感触ばかりが思い出されて――現在の自分にフィードバックが返ってこないことが却ってフラストレーションを積み重ねていた。触れるばかりのキスを繰り返されてからこうして侵略されるのは期待通り、いや期待以上の嬉しさでつい身体もあけすけにその喜びを彼に伝えている。

「起きれなくなっちゃう」
「もうすっかり起きてるでしょう」
「七海が起こしたんでしょう、でもこれ以上したらまた寝ちゃう」
「寝かせずに向こうまで連れていきますよ」

 名残惜しく舌が離れて、睫毛が触れるばかりの距離で目覚まし時計の声を聞く。時間は教えてくれない目覚まし時計は朝なのにすっかり瞳の奥がどろどろに欲の色に溶けていた。昨晩もみた色が、窓越しの光で際立って明るく見える。この目に捉えられて逃げられた試しがない。……逃げようと思ったこともないのだが。
 七海の唇が、私の唇を越えて更に南下する。唇の下の窪み、顎の先。七海の前髪が私の皮膚を渫う度にくすぐったくて仕方がない。唇が顎先を超えると同時に頭の後ろにあった腕枕が外されて――七海が私の太腿に乗りながら身の上にマウントポジションを取るのが見える。下から見上げる七海は、絶景だ。部屋に差し込んでいる陽光が彼の表情を明るく映し出している。顔の半分が、鼻梁で少し影かかっている。その鼻の付け根と眉間の間の窪みを七海渓谷だ、といって指で触って遊ぶのはいつから始めた遊びだっただろう。徐ろに着ているセーターを脱ぎ始めた七海の顔を見上げながら手を伸ばせば、脱いだばかりのセーターが当たって、そのままシャツと一緒にベッドの脇に脱ぎ捨てられた。陽光が彼の産毛をきらきら光らせるせいで、引き締まった肉体がさらに眩しく見える。
 私の腕を無視して七海はその下に――私の首元に顔を埋める。浮いた腕をそのまま七海の後頭部に回して、サラサラ流れる短い髪を撫でるように抑える。七海の表情はわからないが、その唇は饒舌に私の肌を辿る。跡をつけないように軽く噛んではその軌跡を舌で辿られる。噛まれたときの刺激が一度でなく二度三度と痺れてくる、その仕草が好きだった。首から少し降りて、肩先になると彼は無遠慮に噛むし跡もくっきりと付ける――七海と約束したのは服で隠れるところにしか痕跡は残さない、それくらいだったように思う。チリ、と走る痛みでそんな約束を思い出してしまうが、一方で自分は七海にキスマークを点けたことはない。点けさせてくれと言えば喜んで点けさせてくれるだろうが、自分よりも怪我の頻度が高い人間の胸板にさらに何かを刻むのは気恥ずかしくてできないでいた。

「続きをしても?」

 名前を呼びながら、シーツを頭で押し寄せつつ七海が身体を起こす。私の手が止まっていたのを咎めている声だ。もちろん、と返せば七海はもう一度、持ち上げたシーツと一緒にベッドに、私の身体の上に沈み込む。巻き込んだ朝の空気が冷たくて、シーツの中の安心が少し薄れたような気がする。寒さと一緒に七海の手が自分の胸の膨らみに伸びているせいで、ぞくりと肌が粟立つのを止められない。肉刺だらけの手が膨らみの頂点を無視して表面を撫で回し、膨らみに無遠慮に指を沈み込ませる。
 ぎゅ、と指先が沈んで手のひらで乳首を転がされていると身体の奥にほのかに火花が散るように快感が走る。もう片方の寄せられた唇はそれと同調するように勝手に肌を食んでいて、時折走る強い刺激に指が勝手に七海の髪を乱してしまう。そういう複雑な遊びをするのが七海のいつもで、左右に差があるからいつも次はまだか、いつ隣にも来てくれるのとつい心待ちにしてしまう。幸いこの姿勢では七海が顔を上げない限り私の表情は見られないけれど、きっとめちゃくちゃに欲深い顔をしていて、七海に見られないことだけが救いだった。七海はいつだって私の表情を観察している。

「……もう濡れている」

 じっくり遊んでいるのは誰で、誰のせいでそうなっているというのか、その手に聞いてみたい。七海は不意に手を胸から下着の中に滑り込ませて――そんなことをせずとも、その真下に七海が跨っているのだからとっくのとうにに知っていたとは思うが――閉じられた足の間からこぼれた蜜を指で掬う。尤も、七海に触られる前から自覚はあった。夢の中で十分に七海にいたる所を触れられて抱きしめられていていたせいだ。

「昨晩だけでは、物足りませんでしたか?」
「そんなことない」

 もの言いたげな目がシーツから起き上がって私の視線に絡まる。なぜ、と小さく問われても答えるには恥ずかしい。一方で太い指が下着をそのままずり下げて、わずかに覗く割れ目の先に滑り込もうとしていた。そのまま指を折られてはまずい、と思った瞬間に的確にざらついた指は期待にふくらんでいた陰核を撫でる。

「っく」
「もう既に欲しがりな目をしている」

 七海の腰が浮き、私の太腿は開放されたものの、七海は下着をそのまま脱がしながら足の間になおも居座る。昨晩新しくおろした下着なのに、既に一部だけ色濃く変色してしまっていた。七海はそれを一瞥して床に放りつつ私の目に視線を戻し、なぜですか、とまるで仕事中の失敗について質問するかのように繰り返す。詰問されている事自体にも、この姿勢にも、その原因にも、すべてに羞恥が詰まっていて心臓が俄に早くなるのを感じる。だめだ、職場で七海に詰問されたときに快感と間違えてしまうじゃないか。

「体調で変わるものでしょうか」

 太腿を片手で抑えて足を広げながら、七海はつう、と指を秘部に伸ばす。明らかにそれはほしいところをわざと外していて、あと数ミリ内側の粘膜を――そのままやわらかく触ってほしそうにふくらんでいるであろう陰核を――触れてほしくば吐け、と言外に示していることに他ならない。

「金曜はやはり、二度では」
「だめっ……だめだよ、二回以上は、立てなくなっちゃう」
「私は問題ないので」

 それよりも不足していることの方が問題では、と七海はなおも責め立てる。やはり指が奥に進められてもなかには指を進めてくれなくて、こぼれた蜜ばかりを掬っては周りに伸ばすように周辺を触られている。はしたない私の身体はきっとその指を欲しがって微かに蠢いているだろう。

「ちがうの」
「そうですか、ではなぜ?」
「……あのね、シャツを……」

 言い掛けてから、ここまで言っていいのかどうか悩んでしまう。言いなさい、とばかりに七海の顎が持ち上げられていた。粘ついた視線に焼かれるようで唇が震える。ふうー、と小さく息を吐いて――恋人がいつもする癖が少し自分にも伝染っている――息を吸い直す。

「シャツをね、着て寝たら、七海に抱かれる夢を見たの」
「ほう」
「それで……期待しちゃった」
「どういう風に」

 私にも分かるように教えて下さい、そう言いながら七海はするすると手を動かす。入り口を無視して指を滑らせていて、さっきよりもずっと直接的なのに、今一歩不足した気持ちを煽る。七海の指で広げられなくとも自分がはしたなく彼の指を求めているのはわかっていて、俄にかかる彼の吐息すら身体の表面から内奥を炙るような気持ちがする。そもそも低い声が、身体に直に響くのだ。

「……もっといろんなところ、触って欲しかったの」
「シャツの内側以外も、ということですか」
「そう」
「……私のせいですね」

 あなたが眠っている間に、起きるかと思って触れていたので。七海の指がゆっくり第一関節まで中に折り込まれるのがわかる。ありありと粘膜が七海の指に吸い付いてその形をトレースする。思いがけず訪れた快感に喉の奥から歓声が漏れてしまう、応えるように七海はその指を奥に沈めながら内側を擦るのでつい腰が動いてしまう。

「寝ている間に煽ってしまったようですみません」
「……ぅあ、急、にっ」
「もう少し奥もいいですか」

 七海は大体、現行一致だ。いいとも悪いとも返さないうちに七海の人差し指が内壁を辿るように数回折り込まれる。きもちい、と辛うじて伝えるのが限界で、うまく言葉にできたかどうかもわからない。七海の方が物欲しそうな目をしているよ、と伝えてあげたいくらいに彼は興奮を隠しきれていなくて、私の膝の裏を掴んで足を押し広げている手の指には痛いくらいに力が入っていた。

「……ッあ、な、あぁ……〜ッ……みっ」
「もう気持ちいいんですね」
「ン!や、ゆび……やあ……ァ……」
「指、いやじゃないでしょう」

 ごつごつした指がなかをかき乱すたびに腰が揺れて不随意に奥底に当たる。それがとても気持ちいいけれど、さっきまでむずむずとくすぐられていたものだから刺激が強すぎて逃げたくなってしまう。そもそも明るい中でつぶさに表情を見られているのも恥ずかしくて、名前を呼ばれるたびにじわじわと恥ずかしさが背骨に溶けて電流のように快感となって身体がびくびくと跳ねてしまう。膝を押さえられていて、まるで快感の逃れる余地がなくてどんどん快楽の波が迫り上がってくる。たすけて、と思っても目の前の翡翠の目はむしろ煽り立てるよう視線を外さないし、吐息を投げかけながら手を止めようとしない。

「妬けますね」

 何に、と問うよりも早く七海は不意に視線を外していて、次の瞬間には七海が自分の胸にむしゃぶりついていた。熱い粘膜が肌を焼き、肌に立てられた歯の痛みすら快感に変換されてしまう。もっと、と無意識下で思ってしまったのかもしれない。いつのまにか私は胸元の七海の髪に指を絡めて離さず、その間に七海の指が私を追い詰めていて――その動きをはっきりとなかで吸い上げながら、快感の山頂に辿り着いてはそこから意識が転げ落ちていくのを感じていた。

「な、……あ……みい」

 明らかに快楽の頂点から過ぎ去ったのを悟られてか、七海はぬるりと指を抜く。一方で胸から顔を上げた七海の双眸は爛々と光っていて、引き潮の中ですらぞくりとする。

「あなたの中の私に妬いています」
「え……?」
「夢の中の私は、あなたを撫でるだけでこんなに欲情させたのかと思うととても悔しいです」

 そんなことないのに、と思いながら握り込んでいた髪を手放す。さらさらと髪は元の毛束に戻って、撫でつければ癖もなくまるでそのままなにもなかったかのようにほかの束の群れに戻ってしまう。そんな遊びをしていれば七海は身を乗り出して私の唇をぢゅう、と音を立てて吸ってくるのだった。

「勝手ねえ」
「ご存知でしょう」
「私が勝手に期待しただけなのに?」
「……続きをしても?」

 鼻梁がぐいぐいと当てられる。間近に当てられた好意でくらくらする。もちろん、と唇がくっつきそうな距離で答えれば言い終わらないうちに再び唇にやわらかい衝撃が走る。先の口づけで濡れているせいで、くっつくだけで吸い付くようだった。七海の手が再び自分の肩に当たり、さらに下に伸ばされそうな予感がしたので唇を離して告げる。

「後ろから抱きしめてほしい」
「……困りましたね、それでは顔が見えない」
「顔見るの、好きだよねえ」

 それでも七海は要望のとおり、私の右に墜落し、私の身体を手繰り寄せて首筋に鼻を寄せる。髪の間を書き分けて項にちゅう、と音を立てている。そわそわと再び快感が戻ってきて背筋を灼く。七海の手はそのまま自由に私の身体を――こんどは背中ばかりを――たどっては肩甲骨の間に無遠慮に赤い跡を残していた。再び足に手がかかり、今度こそ七海は身体を離して衣擦れの音を立てる。部屋着を脱いで支度をしているのだろう、と思いながら半身を起こし、七海の方を見れば下着を下ろしたところで目が合い、まあだ、と一蹴されてしまう。朝からぶるりと反り立った七海の陰茎に、手短に避妊具が巻かれていくのを見るしか出来ることがない。人がひとりぬけて温度が下がりつつあるシーツの中で、火照った身体を包み込みながら恋人の裸体を眺めるのはいやに幸福な瞬間ではあるのだけれど。

「お待たせしました」

 がばりとシーツが広げられ、再び上半身をベッドに押し倒される。お待たせしました、だなんて期待させることを言っても七海はすぐにその先をしてくれないのを知っている。後ろから私の身体を潰すように乗り上げるくせに、再び甘えるみたいに首筋に小さく何度もキスを落としてくる。自分の背中に熱を持った七海の陰茎がみっしりと存在感を持ってあてがわれているのを感じて俄にお腹の奥が期待で戦慄く。

「顔」
「んん?」
「キスできないから嫌だ」

 恋人が我儘を言っている。首を横に寝かせ、斜めに仰ぎ見れば焦れったさそうな七海の顔が近づいてきて私の唇の端からこじ開けるように舌がねじ込まれる。ほぼ同時に臀部が彼の手で持ち上げられて、自分の足の間に彼の身体もねじ込まれているのを感じる。自分でも自覚するほどびしょびしょに濡れた秘部に挟まる熱に少しばかり非難の声を上げてしまう――尤も、彼はそんなことなど一切気にせずに頬を寄せてくる。削げた頬骨が痛い、さらには朝のせいか、伸びかけた髭が自分の頬に刺さるのでついやだあ、と声を上げてしまうが、彼には伝わりそうもない。私の声もいつの間にか期待の色に染まっていて、自分でもそれが伝わるわけもないだろうことを悟る。

「つ……ぶれ……るう」
「確かに……密着はしますが、顔が見えないのが不満だ」

 ぬるぬると腰の密着が動き、入り口を掠めて柔らかい肉の表面を撫でては抉る。ちいさなひだの一つ一つまですべて蹂躙するように表面が撫でられ期待の高まりとともにゆるやかに快感が走る。こういうちょっとした準備段階の戯れが好きだった。そのせいで、もう少し身体が潰されてちょっと痛いことだとか、髭がささることだとか、いくらか不満を伝えたかったのに自分からはつい歓楽に応じた声が漏れ出てしまう。

「っふ……あ……」

 七海の顔は再び肩に、そして腹部にないほうの手はシーツと私の身体の間にするりと滑り込む。胸の膨らみはすっかり後ろから七海の手に包まれていて快い。もぞもぞと指が動いて勝手に私の乳首を探り当て、巧妙に指の間で挟みながら全体が掌握されていた。

「顔が見えない代わりに、全てができる」
「ふぅ……ン……っ」

 ぢゅう、と音を立てて肩を吸い、歯を立てている。気に食わないと言っている割になんだかんだ気に入ってるじゃないか、と溶けつつある思考の片隅で七海の興奮を受け止める。確かに、今の七海の表情を伺いたくはある――そう思うと表情が見えないというのは確かに不便だった。
 七海はわずかに歓声を漏らしながら、その腰を一度引き、次の瞬間には無遠慮に、わかりきっていたようになめらかに入り口に陰茎を充てがって、指を滑り込ませる時もゆっくりと奥に進めていく。みりみりとなかを開かれていく感覚に、進んだ分だけ押し出されるように声が出る。ああ、たしかにいつもであればこういう瞬間に七海は堪らずにキスをしてくれるのにそうもいかない。大きな吐息が自分の背中に掛かるのがひどく熱くて堪らない。

「熱い」
「ん……」
「欲しがっていたのに、私を締め付ける」
「やあ……もう……っ」

 一番奥まで到着したあと、七海は動きを止めて私の上に体重を掛ける。一番待っていた快感がゆっくり押し広げられる気持ちで声にならない歓声が漏れ出て来るようだった。粘膜以外の皮膚がそわそわと粟立つのを止められない。そんな折に狙ったように乳首に爪を立てるのだからたまったものではない。快感の逃げ先がなくて、身体が跳ね出しそうになるのすら七海の身体が覆いかぶさるせいで止められていて、純度そのままの快感を受け入れるほかない。さっきの快感の残渣のせいであっけなく身体は新しい快感を受け入れている。ひゅう、と数回呼吸をする間はまだ大丈夫だった。その後七海が動き始めたとき、明確にいつもとは違うところに当たるのに慣れず――すぐに奥を押し広げられる事もあってすぐに意識が途切れてしまう。知らない部分を引っかかりが抉り、それ以上ないほど奥を押し広げられ、自分の知らない快感に足をすくわれるように転がり落ちた。ぎゅうとなかの七海を締め付けてしまうと、いつもよりもずっと興奮しているのか普段よりも大きく感じる。

「置いていかないで」
「……ぅあ……な……あ……んッ……」
「まだ終わりませんよ」

 七海はわざと私の頬に自分の頬を寄せて――ぴったり寄り添うにはこの姿勢は抜群だった――耳ではなく口の真横でそう囁き、私の唇をぺろりと舐めて頬を離す。ゆっくり短いストロークが、どんどんその距離と速度を増して繋がっている部分が音を立てる。ン、と七海が一番奥を尋ねる度に衝撃が伝播して鼻から息が漏れる。は、だとかあ、だとか、そういった意味を成さない音がどんどん口から溢れてしまうけれど止める術も知らない。口を閉じたって快感から少しでも逃げるためにはそこから吐息をこぼすことしかできないのだから。
 単調に思えるリズムの中で自分の身体をかき抱かれている時に感じるのが嬉しさと優越感、それから愛着と名残惜しさだった。うっすら汗をかいた七海が私を抱く時、この美しい人が私に執着しているのをありありと感じて全身がくすぐったくなる。そして行為の終わりが近づくのを――七海は分かりやすく熱の高まりをぶつけるので――予期して勝手に寂しくなる。快感とそういった感情がまぜこぜになって頭は真っ白で、それでも一定のリズムを刻まれているとふとした瞬間にそこから火がついて新しい波が生まれるのだ。

「ッな、あ、ああっ、あ」
「……ッ、また、ですか」
「ん、んんッ、い、いっしょ……ッ……が、いい……?」
「いい、先に……」

 いってしまえ、いけ。そう七海が余裕なく肌の上で、身体に直にこぼすのが最後の引き金だった。低い余裕のない声が私の身体の奥を直接くすぐって、内奥からひたひたと快感が溢れて止まらない。堰を切ったように奔流する快感を腰が七海に吸い付くように動き、七海を一際絞り上げ、掴んだシーツに皺を刻んでしまう。
 こういう時ばかり両手放しで七海のことを求めてしまう。ななみい、と声を絞り上げても彼の耳に届いたかどうかわからない。身体にかけられる力が一段と強くなって、私も……と言いかけたのは聞こえたけれどそのあと七海が奥に長く吐精するまで私の感覚器官はばかになっていた。息をするだけで精一杯で、酸素が明らかに足りていない。
 七海が一番奥で動きを止めて、力を加減して再度私の身体に回した手を緩める頃、ようやく世界の明るさと疲労感がうっすらと実感を持って身体に染み出る。呼吸を荒げていた背中の七海もいつのまにか穏やかに呼吸をし、私の背中に顔を埋めていた。顎の髭が背中の皮膚を擦るけれど、お互いの汗のせいでそこまで刺さる心地もない。ふう、と一呼吸置いて七海が私の中から陰茎を引き抜き――この喪失感にはいつまで経っても慣れない――シーツを抜け出してからやっと私は姿勢を変えようと身体を起こそうとした。重たい半身は動く気配もなく、いっそ立ちあがろうと膝を寄せたけれど、腰もあたりまえに持ち上がる気はしない。それどころかそういう姿勢を取れば喪失感が余計に身を刺すような心地すらした。胎から抜け落ちた熱が寂しさを呼び起こす。首だけベッドサイドの七海の方に向ければ、ティッシュを手にした七海が事後処理を済ませるところで、部屋に散乱する太陽光が彼の肉体をやはり光らせていた。

「ひどい姿勢だ」
「だめ……起き上がれない」
「私が起こしてあげますよ」

 最初にそう言ったでしょう?そう言いながら七海は私の隣にもう一度滑り込んでくる。今日に身体をくるりと反転させられ、向かい合う形で抱き直された。身体がベタベタしていなければ疲れからそのまま眠るのもやぶさかではないくらいだけれど、私の身体はまだ熱を持っていて、七海の指が触れるたびに意識をそちらにむけるものだから睡魔も寄り付かない。

「これでやっとキスができる」

 ちゅう、と七海は満足そうに私の唇を貪る。事後なので決して舌はねじ込んでこないけれども、しつこいくらいに唇を何度も食んでは音を立てていた。最中にできなかった分を補給しているのだ、そう告げられても文句は言えない。

「さあ」

 しっとりと熱い七海の腕に身体を絡め取られながら、頻度を落として額に落とされるキスに恍惚としていた。いつのまにか潮のように快感の高まりは引いてきていたけれど、その代わりにどんどん腕の中で満足感が満たされてしまう。

「シャワーを浴びてブランチにしましょう。あなたを待っていたので、私はすっかり空腹です」
「七海が、起こしてくれる?」
「ええ、もちろん。シャワーも一緒に」

 寝かせませんよ、そう言いながら七海は二人分の熱を包み込んでいたシーツをはがして身を起こす。急に肌に触れた冷たい空気に文句を言うよりも早く身体の要点を抑えられて起こされ、立たされてシャワーを浴びに行かされるのは一瞬だった。浴室は朝七海がシャワーを浴びたせいでまだ暖かく、文句の一つも言う暇がないまま温水をかけられるのだから、彼の有言実行は筋金入りだった。とはいえ、浴室の鏡はありありと彼の蛮行を暴き、うっかり耳の下に赤い跡をつけていたことについては協定違反だと文句を言ったのだけれども。

***

 起こされてシャワーを浴びたあと、食卓に座らされて待つ間に目の前にはコーヒーの入ったマグカップとナイフとフォークが置かれる。七海は部屋着のまま、エプロンもつけずにキッチンに立っていて、今日はもしかしたらオープンサンドかもしれないな、と思いながらコーヒーを啜る。土日の朝ごはんがオープンサンドになることはまあまああって、それに温かいおかずが乗るかどうかは七海のさじ加減一つだった。卵とベーコンとサラダを乗せたものが好きだけれども、このところは冷たいおかずのほうが多い。ハムとチーズとサラダとか、サーモンのマリネだとか。
 じゅう、と水気の多いものが焼ける音がして、次第にそれが甘い匂いになって鼻をくすぐる。どうやらいつもとは違うメニューのようだ、と思いながら声をかけるが、七海はそれにはっきり返事をしない。とはいえ、そういう状況であるから手元を見に行くのも悪いだろう。そう思って椅子に座ったまま、七海の読みさしの新聞を手にとって眺める。彼が市井の英字新聞を読む習慣は前職時代から失われていない。たまに移動中に手元の端末で電子版を読んでいるのも知っている。私にとっては興味のない話題ばっかりで、分かる単語を拾いながら興味のある見出しを探すだけで時間が過ぎ去ってしまう。

「なにか気になる事柄でも」
「全然ない」

 かたん、という音を立てて七海が皿を机に置く。甘い匂いと湯気の立ち上る皿の中身はフレンチトーストで、七海は続けてテーブルの中央にシナモンとはちみつの瓶を置いていた。はちみつはこの間出かけたときに買ったものだ、同じものが私の家にもある。

「わあ、めずらしい」
「先週あなたに当てつけられましたので」

 新聞を置いていただきます、と小さく手を合わせる。向かいに座る七海も同様に小さく手を合わせ、すぐにシナモンの瓶に手を伸ばしていた。コーヒーを一口のみ、なにそれ、と過去の私の言動を聞き返す。

「先週寝ながら見せてきたでしょう」
「ええ、なんだっけ……」
「クレープの話です」
「ああ……。それで真似してくれたの、これ?」

 ナイフでもともと固かったであろうバゲットの皮を切り開いて、一口大のサイズを口に運ぶ。卵と砂糖と牛乳の味がして美味しい。テーブルの向こう側の七海は眉根を寄せている。確かに先週だったか、その前だったか、一緒に寝そべっている中で友人の投稿している写真を眺めていた。最近恋人のいる国に移住した友人の投稿に、初々しい生活の様子が綴られていてつい共有したのだった。ねえ、フレンチボウイは朝ごはんにクレープ焼いてくれるって、いいなあ。……確かにそんなことを口にした覚えはある。もともと温かいクレープにシュガーバターで食べるのも、ヘーゼルナッツのクリームを塗るのも好きだったので口に出した気がする。さらに友人がやっとの思いでその暮らしを始めたのを知っていたので、嬉しくて誰かに伝えたくて仕方がなかった。

「気にしてたの」
「パンが硬い、と文句を言われた日でしたから」
「……ごめんなさい」
「いえ、謝られるほどではないですし、たまにはいいでしょう」

 七海の一口は大きい。切り分けた一片が自分のものよりも大きく、シナモンがかかっていてとろりとしている。次の一枚は味のアレンジをしてみよう、と思いながら七海が大きな口でぺろりとその一片を口に放り込むのを眺めてしまう。いつ見ても七海の食べっぷりを眺めるのは気持ちがいい。

「ちなみに、クレープは失敗しました」
「試してくれたの」
「平日に。少し練習が必要なので……クレープはまたの機会に」

 平然とした顔で七海はもう一切れフレンチトーストを切り分けている。私ははちみつに手を伸ばしてスプーンに絡め取り、金色の雫をきれいな焦げ目のついたフレンチトーストに垂らして雫を切る。ん、と七海がぶっきらぼうに手を伸ばしてきて、はちみつとスプーンを次々に没収して自分のフレンチトーストにかけていく。これを準備していたときの七海の顔が見たかった。どんな顔で卵液を作ってパンを浸していたのだろう。いつものスクランブルエッグをつくるみたいな顔でキッチンに立っていたのは見た。まさか、一週間悩ませていたとは。

「私がこんど焼いてあげる」
「起きれないでしょう」
「七海に起こしてもらう」
「起きなくていいですよ、私が作りたいので」

 七海は相変わらず仕事のときみたいな顔で、はちみつでびしゃびしゃにしたフレンチトーストを切り分けて口に運んでいる。ベッドを離れるととたんにこの顔だ。それでも視線はまだ熱を持っていて、何から何まで世話を焼いてくる。適わないや、と思って私も一切れフレンチトーストを切り分けて口に運ぶ。はちみつが甘くて美味しい。七海は二切れめにもう取り掛かっていて、手元はきちんと正確に一口を切り分けている中で視線はすっとこちらの顔を伺っていた。

「そういえば、感想は」
「おいしい!」
「それは何よりです」

 ふ、と淡く笑いながら七海は一口を口に運び、咀嚼する。やっぱりいつか早起きしてクレープを焼いてあげよう。そのためにヘーゼルナッツスプレッドを持ち込んだらバレてしまうだろうか。平然と咀嚼をすすめる七海の表情は読めない。学生以来ではあるけれど、来週どこかで練習しよう……そう思っていたら顔に出ていたのか、再び七海に私が焼きますので、と釘をさされてしまう。そんなに言うなら一緒に焼こうと言えばいいのに。カトラリーを置いてマグカップに口をつければ、七海がちょっとだけ勝ち誇ったような目で私を見つめていた。