迎えにゆく真夜中二十五時
すっかり知らない顔でマティーニを傾けては赤い口紅の口角を上げては微笑み、首を傾げては髪を直す人が居た。それ以上見なくても知っている。きっと靴は赤い、足に絡まるみたいなセルジオロッシで、せっかく贈った白蝶貝の時計なんて今日はしていない。爪もどうせ綺麗に唇と同じ色に塗っていて、下着だってそれに合わせたものだろう。
マリエが居なくなって数日の間に消息を掴むために開けた彼女のクローゼットの中身は殆ど減っておらず、ただ彼女のお気に入りの数揃えの下着と、靴と、それから一番気に入っていた白地に赤い模様のついたワンピースがなくなっていたのでバーにでも出てくるだろうということは読めた結果だった。この顔を見たら知らせろ、と着ているだろう服で写った
マリエの写真を見せてほうぼうに散らばるシマのバーに告げたブチャラティの顔を見たマスター達はてんで驚いたような顔をしていた。ブチャラティ、あんたが探すなんて何をしたんだい、とでも言いたげな顔だった。それでも彼らはこうして彼女を見つけては連絡を寄越す。彼らにとっては生きた心地がしないだろうが、プライベートの事柄でもあるからブチャラティはこうして出向いてきていた。午前1時なんて時間は誰しもが家に帰り、今日一日がつつがなく過ごせたことについてお祈りをしてベッドで眠るべき時間であるのに、こうしてその流れに反して暗い路地を行くギャングを誰が見ているだろうか。昼の自分を呼ぶ声も夜にはしないことをブチャラティはよく知っていたし、そうあることが正しいことだと思っていた。酔っ払った暴漢をどうこうして丸めるかするのも仕事の内だったが、それに直接加担しなくなってもう数年経っている。久々の夜の散歩だった。相も変わらず路地は冷たいし、昼の喧騒がまるで嘘のようにシャッターは閉められている。街灯の明かりを横切るネズミは隊列をなしてさらに暗がりに消えていった。静かな夜だ。何も見つけて捕まえて戻すだけならどうだってもっと効率的なやり方はあったし、二度と反抗させないだけの手立てもある。それをしないのはそうしても心ばかりは戻ってこないことを知っていての行動だったし、それが離れたのかどうかを確かめたいがためでもあった。離れようと思われても離せるかどうかというのは一意的に判断できる事柄ではないのだが。
からん、と軽やかな音を立てる鐘と対称的に重みのあるバーのドアを開け、中に入ればその人は喜々として隣の男の手を握っては楽しそうに囁き合っていた。ブチャラティはひとつ指を立てて注文を出し、その背後の角にスペースを取る。他の客なんてもうとっくに帰っているのを聞いていたし、それを確かめてからの踏み込みだった。いい子は帰る時間だ、と言う男は既に出来上がりつつある
マリエを持て余しているらしく、ただただ帰りたそうにやたらと高価そうな時計と彼女の目の間に視線を動かしていた。凡庸な男だ、少なくとも裏の人間ではないだろう。きっと勤め人であるし、あの仕草からいけば妻帯者かもしれない。そんな年頃でもあるし、そこまで飲んでいるわけでもない。男はブチャラティの視線に気付いたのか時計の後にこちらを一瞥してはため息をついた。お子さまの時間は終わりらしい。
「ギャングの女だったんなら、そう早く言えよ」
「なあにそれ、つまんないの」
男が立ち上がると同時にブチャラティは代はいい、と告げる。ギャングに借りは誰しも作りたくないだろうがこればかりはいいんだ、これは事故のようなものだから。男はその言葉通りに去り――やっぱり妻帯者だ、そうでなければあんなに可愛らしい鍵の付属物はない――、ブチャラティはその空いた椅子に腰掛ける。不満であるという感情を顔にしっかりと浮かべた
マリエはブチャラティの伸ばした手を避けるようにマティーニのグラスに手を伸ばした。
「昨日はどこにいたんだ」
「あなたからもらったカードで泊まったわ」
「そうだろうな、おかげさまで足がつくのが早かった」
水位が減ってオリーブが露出しはじめていた。店主は炭酸水を注いでブチャラティの前に置く。行った場合はそれを頼むと先に言っておいたのだ。その妙な苦味のある水を口に含んでからブチャラティは
マリエに再び向きあう。彼女は席を立とうとはしておらず、店主は厄災逃れにかカウンターを離れて窓を拭きに行ってしまった。彼なりの逃げた時の対応のための取り組みなのかもしれないが。
「何故、出て行った」
「探してほしかった」
「小学生の家出ですらもう少しまともな理由を付けるだろうな」
だって、と赤い爪先が深い茶色の机の上に揃えられる。これは彼女の癖だ、いつも言いよどんではこれをする。食卓でもそうで、最後にみたのは先週だった。その時の爪の色はもっと健康的なピンク色だったような覚えがあるのだが。確かそのきっかけは自分で、外に出て働きたいとむずかる彼女に一言だけ許可しない、と告げたときだっただろう。理由は特になかったが、逃げて消えてしまうような気がしていたのだ。それに余計な気苦労を知る必要もないと思っていた。
「いつもブローノは私の意思しか問わないから、あそこに居ていい理由がわからなかったの」
探されたら戻るつもりだったわ、と言い切って彼女はグラスの水位をまた下げる。オリーブは食べる派だったか、残す派だったかは知らない。
「いつもそうだわ、家にいていいことだけじゃなくて服の選び方にしてもそう。あなたの選択はなかった」
「俺の選択か」
ブチャラティは再び炭酸水を口にする。細かな気泡がグラスを動かす度に水面に向かっては弾け、グラスの側面について模様を作っていた。
「俺の選択は
マリエを家に置くと決めたことだ」
「なにそれ」
「別に俺は慈善活動家じゃない、こんなに金のかかる女を好意も意思もなく家に置くわけがない」
帰るぞ、と声をかければ素直に返事が返ってきたのでブチャラティは一晩飲むにはすこしばかり多い額をコースターに乗せて
マリエの手をとってスツールから下ろした。色とりどりの熱帯魚を飼って楽しむことが趣味の1つとして成立するなら、気に入った女を家に飼うことが選択的な趣味でなくて何なのだろうかと彼は普段考えている。もう無駄遣いなんてしないわ、と腕にしがみつく
マリエに、もっと使っていいと囁やけば、彼女は理由があるならもういいのと笑顔を向けてきた。オリーブはそのまま、炭酸水もそのまま。グラツィエという店主の声を後に重い扉を開けて外に出れば、やっぱりふわふわのコートが欲しいわ、だなんて現金なことを腕の中の
マリエは呟いていた。
「外に出なければコートはいらないし、外に出るなら時計をしろ」
「首輪みたいね、発信機でも入っていそうだわ」
「そんなものがなくたって見つけるさ」
事実そのつもりではあったけれど、これからは外に出るなら帰ってこれるように時間を気にしてもらわないといけない。25時のミネアポリスは手の内にあったとしても夜が深く、そんな時間に家に居ない人間に決して優しいわけでもない。路肩に駐めたタクシーの中で眠る運転手を起こしかねないくらいに
マリエのヒールは石畳に響く。家出向きの靴ではないことをブチャラティは十分知っていたし、出て行かないことを知って買い与えていることを
マリエは知っているのだろうか。よっぽど足の形を変えるよりも人道的だとブチャラティは思っているし、それを履いて家で歩く
マリエを見ることと、熱帯魚を鑑賞することの違いはないと思っている。ただ彼女が喜ぶ姿をみて喜んでいるのだと思われていればいいのだけれど。
20151221 chloe, title from
金星