sweet lilac
「悪くない」
知っているだろうか、岸辺露伴のこの言葉の意味を。これは彼の中で対人的に最上の褒め言葉である。さらに付け足すと、
マリエが大概この言葉を聞くときというのは服を着ていないし、彼の表情が見えなかったりする。今日だってそうであって、
マリエは自分の鎖骨が濡れたのを感じるとともにこの言葉を耳にして、つい目を伏せた。想像通りその感触と言葉に続いて起こる痛みに耐えきれず
マリエは声を漏らす。知っているだろうか、岸辺露伴の歯は想像よりもずっと丈夫で、鎖骨でそれを感知するにはなかなか痛みを伴う事を。痛みも行き過ぎると快感にすらなるということを。
露伴は何故か、椅子の上で
マリエを抱くのが好きだった。そして
マリエはそれが元で岸辺露伴が見た目よりずっと力が強くて丈夫なことを知る。露伴は大概
マリエの鎖骨を跡が残るほど噛むし、そのまま肩の尖った骨まで舌を這わせるが、その時同時に露伴の指は
マリエの腰を割らんばかりに掴んでいるのだった。
マリエは
マリエで露伴の背や肩に爪痕を残してしまうけれど、大概そんなものは次に会うときには消え失せている。
マリエの鎖骨は跡が消える前にまた新しい歯型がつくので、ここ最近はずっと隠されていた覚えしかないけれど。
「もう夏になるのに」
マリエの抗議を露伴はいつものように聞き流す。まるで何も聞こえていないかのように。実際はそんなことなんて全くなくて、
マリエのキッチンでの独り言すらすべて聞き耳を立てているのだからたちが悪い。
「聞いてるの」
「聞いてない」
露伴は額を
マリエの顎につけながら
マリエの抗議に返事をする。骨を伝って聞こえる声が案外気持ちが良いと言ったら彼女は二度とさせてはくれないだろうという直感があるけれど、おそらく毎回してしまうのでバレてはいるだろう。
「夏なのに、タートルネックしか着れないじゃない」
「胸があるからちょうどいいだろ」
タートルネックのサマーセーターは嫌いじゃない、と露伴は的はずれな感想を述べる。
「海にもいけないじゃない」
「行かなくていい、そもそも
マリエはそこまで泳げないだろ」
「そういう問題じゃない」
私だって、涼しい服を着たいのに。
マリエはそう言って、露伴の後頭部の髪を撫でた。彼女なりの抗議なのかもしれない。
「そもそも服も着なきゃいいだろ」
「またそういうこと言う」
一段と短い露伴の髪を逆撫でるように
マリエの指が動く。いつだか芝生みたい、と言ってきたことがあったっけ。なんとなく腹が立ったのでその感想をあとから消した覚えがある。
「私、在宅で全裸で仕事できないタイプの業種なんだけど」
「僕に対する非難か?僕は服だけは着るがね」
「めずらしく理解が早いのね」
「うん、君の記憶を読んだからね」
「……嘘つき」
非難の声は甘い。露伴はその
マリエの非難を気に掛けるでもなく首筋に舌を伸ばす。ん!と感覚的な歓声があがるのを確認して、それがあまりにも待ち構えているように聞こえたので露伴はやっと顔を上げて
マリエの視線を手繰る。先程までの抗議の声とは裏腹にとけた瞳孔が露伴を映していて、露伴は満足げに
マリエの名前を呼んだ。返事はない。なくとも自分が求められていることぐらい、露伴にとっては簡単にわかる事実である。
初夏に着るには少し暑いような、やわらかい藤色のカーディガンを爪先で露伴は蹴り、膝の上の
マリエをベッドに下ろす。先程まで彼女が着ていたカーディガンなのは知っている。知っていてもなお、今日はどうせもう着て帰れないのだからどうでもいいというつもりでしてしまう。きっと彼女はほこりを吸うことにあとで怒るだろうが、そのときは代わりに自分のセーターを着せてしまおうと露伴は考えていた。陽はまだ高い。週末の昼から外に出ない計画をたてるのもどうかしているかもしれないが、平和なうちにこういうものは甘受していおきたいと言ったら
マリエは笑うだろうか。
平和で平凡な週末も悪くないと露伴は常々思っている。これが平凡であると定義すればの話だが。
20170430 chloe,as a request <<露伴>>