ばってんつけてあげたい
炭酸の強い金色の液体のはいったボトルが光で綺麗な影を作っていて、やっぱりこの人は護民官ピートに似ているだなんて感想を仗助は覚えた。ときおり昼に中庭で見かけるそのピートは大抵そのボトルと一緒にサンドイッチかなんかを持っていて、それからイヤホンをして眠っているか本を読んでいるのを知っている。帰りの姿はあまり覚えがない。クラスのどんな不良よりずっと早く教室から姿を消しているからだ。それが何故かは知らない。たまに昼に寝ていてチャイムで跳ね起きているのを数度横目で見ながら学校から退散したこともあったっけ、教室以外で人といる姿を見たことがなかった。
今日は読書の日らしい。購買でパンを買って、今日はホームルームだから早引けするには問題が起きるなァと思いながらどこか食べるところを探していたらふと校内の反射鏡に映ったその姿を見かけてしまった。ちょうどいいや、寝ていたら隣に座っていいかなんて聞けないし、読書中なら問題ないだろう。同級生だって把握されていたら無碍に断られはしないだろうし、と仗助はパンと牛乳パックを抱え直してその影の方向に進路を取った。
仗助が声をかけるよりも早く護民官ピート、
マリエは仗助が意思を持ってそのベンチに近づいてきたのを気付いたし、栞も挟んでいた。よっ、と片手を上げた仗助を
マリエは怪訝な顔で見つめていた。
「そんな不思議な顔しないで欲しいッスね、隣、いっすか」
「……どうぞ」
ガール・ピートは食べかけのサラダを俺が座ろうとした逆側に置いてその席を開けてくれた。残念、閉じた文庫本は夏への扉じゃあなかった。それどころか真逆とも言えるような古典だった。
「読書中悪いんだけどさぁ、いつもここいるよな」
「あ、うん」
仗助はパックにストローを刺しながら彼女の手元で閉じられた本の背を読む。アンナ・カレーニナ、そんな趣味だったのか。タイトルは知っていても読もうだなんて思ったことがない。爺ちゃんなら読んだこともありそうだけど、それよりかはずっとまだ入試に出そうな作品でも選んで読むと思う。
「なんか趣味渋いっすね」
「読まなきゃいけなくて、昼くらいしか読む時間ないから」
へえ。そう言って仗助は手をその本に伸ばす。驚いたようにその本の上の手は逃げて金色のジンジャーエールのペットボトルにかかった。初めて遭遇したネコよりも警戒されている。文庫を手にとって裏返せば、薄いあらすじがあったけれど全然イメージなんて浮かんでこない中身だった。
「ごめん、驚かせて」
「こっちこそごめんなさい」
ひっくり返された本に
マリエの手が戻る。仗助も戻した手でパンの袋の封を切り、やっと食べ始めると向こうもジンジャーエールのキャップを開けて一口飲んでいた。しゅっと炭酸が溢れる音と春の真昼はしっくりぴったり合う。正座なんてしたことなさそうなまっすぐした足が地面のレンガを爪先だけでリズムをつけて蹴っていた。完全に彼女の昼を邪魔しているとは思いつつも、こんな機会を逃したら、今年一年会話のないまま終わってしまうだろうから付き合ってもらう他ない。
「
島原さんって、たまにここで寝てるでしょ」
「ええ、見られちゃってたの……」
はずかしいなあ、三回の妙なリズムで
マリエの爪先は床を蹴る。ジンジャーエールの影がきらきらしていたそばだった。
「俺、たまに昼にそのまま帰っからさ、そん時ね」
「へえ、いいな」
「いいなって…そりゃ怒られるんスけどね」
「やっぱりそうなんだ」
でもいいな、早く帰れるの。初めて話す彼女はそう言って膝の上の文庫本をベンチに置いて代わりに食べかけのサラダを手にとった。逃げずにご一緒してくれるとでもいうことか。サラダのグリーンとゆでたまごの白と黄色が鮮やかだ。
「学校嫌いなんスか」
「え?嫌いじゃないよ」
自分がメロンパンをかじる度に
の持つフォークもレタスを刺しては掬う。何が琴線に触れたのかはわからないが、彼女が風のように放課後教室からいなくなる一端を掴んだのかもしれない。それは空を掴んだものかもしれないけれど、勝手に早引けすることがうけたのだから不思議だ。
「放課後レッスンすぐあるから急いでるんだ」
杜王町じゃなくてS市駅の方なの、と
マリエは笑う。バレエのね。それで諸々のことが合点がいった。正座なんてしたこそなさそうな足、妙な古典。
「もし本当に急いでんならさ、火曜とかはバレないぜ」
午後の日本史、先生何にも確認してないからさ。二年間で得たちょっとした知識を口にするとためになるわと彼女は笑う。それでも彼女がさっさと早引けする姿なんて想像できなかったのだけれども。
「ね、じゃあさ、次の火曜日一緒に引けてくれる?」
円状のゆでたまごを彼女のフォークが割ったとき、そんな言葉が護民官ピート・
マリエの口から飛び出てきてついうっかりメロンパンのくずを落としてしまった。へ?とマヌケな声を上げてしまった気がする。火曜日、と彼女はもう一度繰り返した。
「東方くんて結構、ヤンチャって聞いたから連れだしてくれないかなって思ったんだけど」
「えっ、ええ、良いわけェ」
「だめ?」
「なわけないじゃん」
こんな面白い事態、ダメなわけないじゃあないか。仗助の快諾に気を良くしたのか
マリエは再びジンジャーエールのキャップをあけてごくごくと飲んだ。そうだ、あのネコのピートは勇敢だったっけ。次の火曜日は面白い展開が待っているかもしれない、冷凍睡眠だけはしたくはないけれど、駅までの逃避行だったら悪いはじまりでもないなと仗助はメロンパンを牛乳で流し込んだ。
20151229 chloe,as a X'mas request 2015.
Quotations from Robert A Heinlein"夏への扉", Lev N Tolstoy"アンナ・カレーニナ"
"仗助でネコのもの"