四畳半ダンスフロア
去年までの自分としては、いつも机の中の状況に一喜一憂しては帰宅後にカードを選別してリストを作っていたのだけれど、今年からは休みなのでそんな作業もなしにただ期待を高めておくだけでいいのではないか、という仗助の目論見は儚く散った。2月の予定ってなんかある?帰省する?という仗助の問いに隣人は、
マリエは手帳をいそいそと取り出して該当部分に目を通す。
「あ、再来週にサークルの合宿がある」
京都に行ってくるねえ、と
マリエはニコニコと笑って仗助に予定を告げる。13日からだから、仗助くん先に帰ってていいよ。同郷の幼馴染はそう告げて手帳をとじた。
「でも帰りたくないなあ、一番寒い時じゃない」
「あー、まあそうだよなぁ」
帰省する?だなんて聞いたけれどそんなの口実だった。再来週、14日の予定を聞こうと思ってそれはジャブに過ぎなかったからだ。そもそもバレンタインデーにチョコレートも何も寄越してくる気はなかったのかもしれない、という可能性すら仗助は思い立つ。仗助の人生で19年目を迎えるそれのうち、3歳から15歳まではきちんと存在していた。今も昔も隣の家で、彼女は決まりきって可愛げな銀紙に包まれたハートのそれを箱に飾ってはい、バレンタインおめでとうとお年玉か何かのように渡してくるのだった。高校の時は――去年まではなんだかんだ言って学校できちんとくれたのだ。去年は受験があったから一日前に家で受け取ったけれど、可愛げのないせんべいについたチョコレートを仗助は今朝レポートを出しに行ってきたばかりのキャンパスで去年齧った覚えがある。由花子と一緒に作るのだのなんだの、彼女はあけっぴろげに内情を言ったけれど、その本心は誰も知らなかった。尤も由花子の手伝いが主だと言うから彼女はろくすっぽ作っていないのかもしれない。チョコレート削るのってめんどくさいんだよ〜、と気の抜けた声で16歳の彼女は言っていた。その年は、まだいびつな形のトリュフであって仗助は非常に喜んだのだけれどもだ。
「帰ったところで由花子もデートだろうし、遊ぶ予定もないからなぁ」
「まあ、その頃ちょうどバレンタインだしな」
「仗助くんは今年も大変そうなの?」
聞いたよ、シケタイ全部クラスの女の子がくれたんだって?にくいねえ〜。みかんに指を入れて
マリエはその皮をめくる。細かい筋を取るタイプでないことくらいもう十分知っていて、仗助もむかれたそれを半分取ってはきっちり筋を取って戻すのだった。
「そういう
マリエは今年はもうくれないのかよ」
「欲しかった?」
そういえばもうずっとあげてたもんね、と彼女は仗助が筋を取ったみかんを一房口に入れて指を折ってその回数を数えていた。ええ、もう16回もあげてたのかあ。そりゃ期待しちゃうよね。
「いや、去年貰ったやつ、あれすっげー俺好きだったんだけど」
「チョコレートせんべい?あれいいでしょう、お父さんも気に入ってたわ」
「そうじゃなくて、ほら、俺去年入試だったろ。その時なんつーか、ホッとして」
そんなことしてたんだ、と
マリエは相変わらずみかんをつまむ手を止めずに感想を漏らす。推薦の時、日帰りだったからそんなに寂しくなかったんだよねえとかなんとか、俺はそれに併せて志望校上げて頑張ったっていうのによお。
「じゃあ帰ってきたら一緒にチョコフォンデュしよっか」
「おう」
「美味しいおみやげ探して帰るから、一緒に15日にチョコレートパーティーしよう」
本心はわかってくれねえのかなあ、と思いつつ仗助は残りの半分のみかんを手にとってその筋をバラして皮のうえにその繊維を並べてゆく。何も知らないで単なる幼馴染の身分でこうして家に上がり込んでお茶をするだなんて、去年の頑張っている自分に教えたらどうなるだろうか。お前はまた隣に住むけど、何も進展せずに一年過ごすぞ、と。じゃあ来年の俺は今の俺になんて言うだろうか。逆に進展してるぞ、だなんて言うだろうか、いやそれはこれから俺がどうするかで決まるのかなァ。
「ああでも妬けるなあ、仗助くんのクラスメートの子、可愛い子多いし」
「なんだよそれ、去年までそんなこと言ってなかったじゃん」
「いや去年まではだいたいどんな子があげてるのかって知ってたから何も思わなかったけど、全然知らない人が今年はあげるわけでしょ、なんか不思議で」
それで付き合ったりとかしてもうこうやってお茶できなくなるのは寂しいじゃない。そう言ってまだ皮をむいていない分を
マリエは口に放る。柑橘の匂いがお茶の間から立ち上って冬を冬たらしめていた。そんなこと今まで一度だって言ってくれたことなかったじゃないか、と仗助はつい手の中のみかんの薄皮を破ってしまう。果汁が仗助の指を汚して、それに
マリエはティッシュの箱を差し出してそれを机の上においた。
「今年私以外から受け取らないで、って言ったら怒る?」
「喜んで受けるよ」
「うん、じゃあそうしてってお願いしちゃおうかな」
仗助は薄皮を破いたみかんを口に入れて指を拭く。小さいささくれに果汁が染みて痛い。冬にハンドクリームを付けないのはもはや癖だ、それにこの間までレポートのために本をずっと触っていたからかもしれない。
「それって期待しちゃうけど、わかって言ってるんだよな」
「フフ」
じゃあお応えしちゃおうかな、と彼女はティッシュを一枚取って、みかんの皮と筋をその中に置いて仕舞い支度をした。まだ皮の上には数粒のみかんが残っていて、それがなくなるのを惜しむように彼女は指をそれに伸ばしかけて湯のみの方向に戻した。その仕草に焦れったくなってその指をつかめば、続きはその時ね、と
マリエは目も見ずに掴まれた手を見たまま呟く。彼女の言う続きを瞬間で想像して恥ずかしくなった仗助はその手を離してみかんを掴んで口に放り込むことしかできなかった。続きをむこうと実家から来たみかんの山にとを伸ばせば、動揺しすぎてその山を崩して
マリエの不評を買ったけれど、その山を片付けようとして伸びた彼女の手を再び掴んでこんどこそ仗助はその手を引っ張って手繰り寄せては触れるだけのキスをした。
「今度って言ったでしょ」
「半月は長えよ」
「ばか」
なあ、もう一回しちゃだめかな、と問えば再び
マリエはばかと仗助に照れで光った言葉を投げて急須を持ってこたつを出て行ってしまった。キッチンで水道とコンロを使う音がして、仗助もこたつを抜けだしてキッチンに近づけば、今まで適当に笑ってばかりだった
マリエが顔を覆っていたのでびっくりして抱きしめに近づいてしまう。振りほどこうとする
マリエを危ないからと腕の中に収めたら、彼女は恥ずかしくて顔が見れないと言って再び下を向いたけれど、ステンレスの作業台はその表情をぼんやりと反射して赤さを仗助に見せるだけの結果だった。
「期待しないで」
「いや、期待するね」
「じゃあ今日のこと忘れて」
「忘れるもんか」
16年待ってたんだからさあ。仗助がそう付け足せば、
マリエはわあと息を呑んで動かなくなったので再び抱きしめる手を強くした。いつ気付いてくれたの、という問いの答えは返ってこない。それは半月後に聞けばいいかァ。それにしても随分体格差が出たもんだよなァ、と仗助は
マリエの頭頂に頬を寄せて真横に視線が合った時分のことを思い出す。ピンク色の銀紙のハートのチョコレートから始まって、今度は何がくるのだろう。楽しみだなァ、と意地悪く仗助が間近で囁やけば、見たことない位大人っぽい顔で彼女は重なった手を見つめていた。初めて見るその表情に仗助は身が密着していることのバツの悪さを感じて彼女を開放した。まだ沸き上がらない湯に所在なさを覚えつつ、仗助は急須を
マリエから取り上げて流しに中身を空けると、背中に見知った体温がくっついて来たのでそれを享受しながら回された手を撫でてそのままにさせる。
「ガキの頃から一緒にいたのに、抱っこしたのって初めてだよな」
「そうだね」
「気に入ったろ」
「うん」
セーターの背中に
マリエの鼻が当たるのがよくわかる。そしてその顔が熱いことも。コンロの前にいただけじゃないことくらいよくわかっているし、顔を見せたくないと言っていたのも聞いている。でもこれは仗助にも都合が良かった。今また彼女の顔を見たら、いつからの答えを聞くまでもなく、それから彼女の気持ちをきちんと確かめることもなく幾つかの階段をすっ飛ばすだろう自覚は十分にあって、仗助は執拗に急須の中の茶葉の残りを洗っては流す作業をしていた。せめて湯が沸くまではこうしていたいと思ったけれど、
マリエはどれだけこのままでいてくれるのだろう。
20160124 chloe