ドーナツの輪の真ん中から考える

だいたい彼女の部屋に上がり込むと彼女のお母さんはドーナツとカフェオレなんかを持ってきてくれて、じゃあ頑張ってね、と言ってドアを閉めるのだ。彼女の部屋に上がる口実はだいたい勉強のためだったりしたのでお母さんもそう考えているのだろう。そんなこと一度もしたことないのだけれど。大概、そのお母さんがくるまで数学か何かのワークは開いているのだ。彼女はその配給が来てからそれを閉じて僕の膝に転がる。たまにそれが逆になることも、ないではない。マリエの栗色の髪が僕の緑のスラックスにはしっくりくるし、そのせいで去年の冬は栗色のマフラーを買って巻いていた。それを選んだ時誰しもが案外地味なものを選ぶのねと花京院に言ったが、真意は関係者だけが知っているだけでいい。代わりにクリスマスプレゼントに花京院は自分の目の色と同じ色のマフラーをマリエに贈った。赤く丸いピンでたまに止められている豊かなボリュームのそれで冬の間のマリエの髪はだいたい隠れてしまうのが良いと思っていた。子供らしい征服心の現れかもしれない。切らないでほしいと嘆願しながら今日も花京院は膝の上に広がる髪を指で巻いていた。柔らかい髪は巻いても巻いても指から逃げるように形を変える。自分の髪は若干の癖がついているから指に絡むのに、そうではないつるつるした髪なのが面白く、会話がなくともそう手遊びをすることはとても多かった。
「パーマをかけるのはどうかしら」
「似合うんじゃないかな」
「本当に?」
花京院は一房マリエの髪を取ってはくるくると指で巻き、他の手でそのまるみを保持しながらその髪をマリエの顔の横に垂らす。うん、似合うと思うよ。そう繰り返して髪を置いたそばにある鎖骨を指で撫でる。くすぐったそうな声をあげるのはこの喉か、とそのまま指を首に辿らせ、顎まで持ってくれば完全にマリエは声も上げずにこちらの顔を見ていた。さっきまでこんなのどうかなだなんて言っていた雑誌は手から離れて床に広げられたままだ。きょうもこのまましてしまうのかもしれない。それにしてはまだまだ明るすぎる。おあずけ、と唇に指をもっていけばマリエはぺろりとそれを噛んだ。
「手が大きいねえ」
「だめだよ、そういうことしちゃ」
メッ、と指を増やして唇をはさめば不明瞭なごめんなさいがその隙間から漏れでてきて、ついその面白さに声を上げて笑ってしまう。彼女もそれに対抗して花京院の顔に手を伸ばすが、邪魔をされて届くのは頬ばかりだった。自分のそれと違って指の入っていかないその頬に彼女はやたらめったらと触りたがるのを花京院は十分知っていた。何せ会った日で、触られない日はなかったからだ。夕方指に引っかかる髭を面白がっていたころからそうで、彼女は変な感触、とそれを逆撫でして遊ぶ事が多い。ことさらベッドの上では。
完全にお膳立ては済んでいる。それはわかりきっていたし、そのつもりでもいたけれど、まだどこか気恥ずかしいのだ。学校から帰ってきてすぐだし、マリエとそっくりな顔のお母さんに頑張ってねだなんて言われてから10分も経っていない。さすがにバレちゃったらどうしようかな、位思わなくもないのだ。きっとそれが起きたら自分のコレクションを見られるよりもいけない事になる。それにも関わらず、口をつままれたままのマリエは知ってか知らずか頬をいつものように撫でていた。下がる目尻に親しみが込められている。
「机に向かえない悪い子め」
口から手を離して、頭の乗っている足もずらせば、マリエは頭を床に軽く打ちながらすぐに起き上がって向かいに座った。そこからじりじりと自分の方に近づいてきて、花京院は咄嗟にテーブルの上のドーナツを手に取り口にした。どうだ、寄ってこれないだろうという印である。君の望む口はいま忙しい、君がキスする暇はない。そのつもりの意思表示だったのに、マリエが花京院に近づくのは止まらず、油のついた指が伸ばされても避けずにマリエは花京院の足の中に座り込む。
「一口もらっちゃお」
花京院の左手にあるドーナツに顔を近づけて齧り、生地を口の下に付けてマリエはドーナツを頬張っていた。さっきよりも近い距離で照る唇は確実にもう待ったを聞かないとばかりに光っていたし、あと何分耐えられるかはドーナツの残りの円周と花京院典明17歳の精神力だけが知っている。手持ちはまだあと一周と三分の一ある。自分の方は、あと20分といったところかもしれない。落ち着こうにもカフェオレはもう手の届く範囲になく、自分の太腿と生足のマリエの膝先が触れ合っているので落ち着かずにそわそわする。いつまでたっても口の中のドーナツは飲み込めず、視線は熱を帯び、更に水分が失われていく気持ちだった。きっとそれ以上近づかれてしまえば燃えてしまう。それなのに、マリエはついてるよだなんていって花京院の唇に触れてきて、自分の限界は思ったよりも近かったことを明確に悟ることとなったのだった。花京院は立ち上がってドーナツの残りを皿に戻し、カフェオレを口にして、指の油をふいてはマリエの頬をさらって額に口付ける。それが今日の勉強の終わりで、自堕落な放課後の始まりだった。
20151216 chloe,