ドライブミーコッパー
ギアッチョはふだんとってもとっても仏頂面で、何故か約束した日は雨がふることが多かったけれど、かわりに今日みたいにものすっごく晴れた日には決まって少しだけ柔和な顔で今日はドライブにでも行こう、だなんて言ってご自慢のオープンカーで私を迎えに来るのだ。晴れの日の朝にギアッチョからの着信音が鳴ると大抵その連絡なので、今日も私は嬉しくなって新しく買ったばかりのリップをおろした。ギアッチョの右側は私か、それか荷物の特等席だった。
ギアッチョはイタリア男の典型に見えないのに言うことだけは典型例のそれだった。毎日デートなんてしてくれないし、家にも上がり込ませてくれないけれど囁く言葉だけは優しい。あと顔も仏頂面なのに、時折優しげに唇が下がるときがあって、いつでもベタベタ優しい男なんかよりずっとずーっと好きだった。不定期に私をこうして連れ出すことも、毎回サプライズの連続みたいな感じがして、私は仕事の間でさえいっつもギアッチョからの連絡がないか心待ちにしている。彼は毎日連絡をくれたりなんてしないし、ある時は半月も連絡をよこさなかったけれど、その時は大抵ばつが悪そうに突然私に会いに来るのだ。それも花束なんてもって。それすらお姫様扱いされているようで全部許してしまうくらい好きだった。友達は全員そんな男やめときなよー、だなんて言うけれど、凡庸な男よりかはよっぽど新鮮でよかった。あと四肢が筋肉質なのも個人的にはとても好みだったけれど、これは誰にも言ったことがない。ギアッチョにすら。
「ギアッチョおっそーい」
楽しみすぎて待っちゃった。そう言えばギアッチョは少し怒ったみたいで唇の片方が動いたのでミスった、と私はその案外たくましい腕に自分の腕を絡ませる。楽しみすぎて全然集中できなかったの、好き。そう言ってキスをせがめば、ちゅっと軽くギアッチョはそれを返してくれる。きちんと髪だって巻いたのに、ギアッチョはそれを潰しても良いものだと思い込んでいるフシがある。ぐちゃぐちゃと彼の髪みたいに会ってすぐかき乱すのを
マリエは享受していた。どうせこの後風に乱されるのだし、それよりかはあの冷たい指で乱されたほうがよっぽどマシだ。
「唇……」
「ん?もっかいする?」
私は再びちょっとだけ背伸びをして、それからギアッチョの頬に自分の頬を寄せた。眼鏡の縁が当たらないようにいつも彼は気を遣っていることを知っている。私にはそれが出来ないから、彼の視界を歪ませてもいいときにしか自分からしない。こうして至近距離で待ってお願いをするのが私のやり方だった。
「いつもと味が違うなァ」
「味だけ?」
「色もか」
やーっと気付いてくれたの?そう言って私は再び唇を誘う。それでもギアッチョは意地悪にそれを再び近づけてなんてくれなくて、いいな、とだけ言って私の腰に手を回した。もっとしてほしいのに、と言ってもギアッチョは続きをしてくれない。続きはもっといいところでやるぞというのが彼の言い分だった。今日はどこにいくの?と聞いても彼は一度だって教えてくれたことがない。彼のご自慢のオープンカーに、彼はきちんと手を引いて、それからちょっとだけ手間取ってドアを開けエスコートしてくれた。今日のために新しいミュールもおろして、彼の好きなワンピースだって着てきたのに彼は唇以外に何にも興味を示してはくれなかった。それでも唇を指摘されたのが嬉しくて、
マリエはその手に従って黒いシートに身を滑り込ませた。
ギアッチョの手がキーを回してエンジンを掛ける。シートベルトをきちんと閉めたらせっかくふわふわしたワンピースがすっかり体のラインを浮かび上がらせてしまったので失敗だった。これはこの間の雨の日の美術館だったからよかったのか、これじゃあ逆にはしたない感じになってしまうなァ。戻って着替えたいだなんて言ったらきっと怒るだろうし、自分も楽しみに、本当に楽しみに待っていたドライブだったからその時間を削るのも勿体無くて
マリエは黙ってシートベルトの下でワンピースを引っ張って無駄なシワを伸ばす。
「あーあァ、そのワンピース、立ってりゃ綺麗なのによ」
「おんなじこと思ったわ、褒めてくれたから着たの」
「だろうな」
マリエはいっつも褒めたら嬉しそうにするかんなァ。そう言ってギアッチョは眼鏡をサングラスに掛け替えていた。ほらよ、と彼は上着を脱いで私に放ってきて、私はそのよく見知ったギアッチョの上着を預かることになる。シフトをはさんで隣にいるギアッチョの匂いが、こんなに近くからして幸福だ。
「風も出ると思うし持ってろ」
「うん」
ちったあそのおっぱいも隠れんだろ。昼間っから口悪くギアッチョはそう言って車を発進させた。そんな単語を陽の下で言う時は大概照れ隠しで、その単語で私はギアッチョの遠回しでぶっきらぼうな優しさに気付いて嬉しくなって上着を抱きしめてしまう。口紅は移さないように、それでも嬉しくてギアッチョの匂いをその中に求めてしまった。黒いシャツ一枚のギアッチョはいくら感謝の言葉を言っても返してくれなくて、代わりにつけたラジオからビートルズが流れていて、それが偶然にも私の部屋で彼がよく掛けていたCDだったことに気付いて私の嬉しさはとどまることを知らなかった。
20160111 chloe,