in the liverside

マリエの睫毛は長くて綺麗だね、って花京院くんはよく寝転んでいる時に私の睫毛に指を当てながらそう言った。だから本当はいつも校則を破って透明マスカラできれいにカールさせていたんだけど、触られたら彼の指が汚れてしまう気がしてやめてしまった。学校の帰りにこうして帰り道の川辺に寝転がってお話をするのが大好きだった。彼は時折スケッチブックと画材を持ってきていいて、その作業を見ながらお話をすることもあったし、特に何をするでもなく川で水切りをしたりだとか、それから半分昼寝めいたことをすることもあった。もちろんテスト前だとか、そういう時期にはそういうことをしなかったのだけど、川でおしゃべりをする代わりに図書館で勉強をしたりもした。そういう時って全然集中なんてできなくて、ただただ彼が机に向かう姿をみながら前髪が長いなあ、とかちょっと口が大きい所が素敵だなあ、だとかそういった所ばかりしか見ていなかった。机に広げたままの数学の問題集なんて全然解き終わって無くて、でもそれはそれで助けてくれるからそれでもいいかな、と思っていた。美術の課題で横顔を描くのがあればきっと満点は取れるのになあ。
私達がそういう風に放課後を過ごし始めるようになったのがいつからだったのかははっきり覚えていない。夏明けだったか、それくらいだったように思える。というのもそれは文化祭の準備をサボって帰る途中に偶然会ってしまったことがきっかけで、なんとなく帰ってから別にすることもないので、顔だけは知っているクラスメイトと話して帰るのもいいかもしれないなんて風に思ったことがきっかけだったような気がする。事実、彼は非常にクラスでも目立つ風貌であるにもかかわらずあまり誰とも一緒にいるタイプではなかった。そのときはじめてこの体格の良い彼が美術部に入っているのも知ったし、案外かわいらしい絵を描くのも知った。まじめそうに見えて実は校則違反のピアスホールを開けているのも。私は全然絵なんて描けなかったし、彼の知っているようなゲームだとかも詳しくなかったけれど、聞けば答えてくれるし、案外彼が好きなことについて話しているときの顔が好きだったのでその後何度も会うようになったのだと思う。尤も、それからきちんと、正しい(と、思われる、少なくとも幼いころみたいな使い方ではない)色鉛筆で絵を描くようになったし、ちょっとだけテレビゲームもできるようになった。彼が好きなことを話すばかりではなく、彼は話した内容を相手に実践をさせるタイプだったことを知っているのはクラスに何人いるだろうか。

「何を描いてるの」
「出来上がるまで見るもんじゃあないよ」
「いつも見せてくれるじゃない」
めずらしくスケッチブックを折り返さずに、本のように影を作って絵を描く花京院くんの手元を覗き込むと、今日ばかりは何故かやんわりとページを閉じられた。中身を見せてくれなかったことは一度だってないのに。諦めて隣に寝転ぶと花京院くんは大きくはあと溜息をついてページを送った。
「続きはこんど」

あの全然何を描いているか見せてくれない日の翌日からは、随分と雨が長く降り続いた。梅雨の季節が来ていた。雨の日に私たちは会わない、というのも彼はそういう日こそ美術室で“部活動”にきちんと出ているし、その空間は私のような部外者が河川敷のように自由に出入りできるところではなく、またそういう風に出入りするような関係でもないからだ。私は大抵そういう日に本屋に行くなり、他の友達なりと過ごしたりするし、少しはやらないといけないような気がして勉強したりなんかもしていた。梅雨があければ期末テストだってあるだろうし、というのが理由の一つではあったけれど、こないだの中間テストは教えてもらいっぱなしだった上にそれで成績が上がったのでなんとなく一人でできる気はしなかった。
思えば去年の今頃は花京院くんとなんて過ごしたことがなかったのに、随分リズムを崩されたものだ。私は雨に負けないようにウォータープルーフの透明マスカラをまた塗っていたし、スカートだってまた折り始めていた。河川敷に降りる時にはめくれると言って長めにしていたからだ。
それでも、昔の習慣を取り戻していると、彼と出会う以前と今を比較して虚しくなってしまうので私はマスカラを美術の授業中に捨てた。

私の捨てたマスカラは随分と問題になったが、私は意に介さず、ホームルームでの説教すら聞き流していた。私は随分と長い間学校で化粧をしていないので先生方のマークを外れていることは明らかで、可哀想なことに全然関係のない、顔だけは知っている同じ学年の女の子が犯人のように呼びだされているのを人づてに聞いた。花京院くんは見当がついているような気がしているが、それはきっと自意識過剰なのかもしれない。彼の指が汚れるのが嫌で塗るのを止めたのだから彼が知っているわけがない。どこかで声をかけて欲しいのかもしれないと思いながら、彼とすれ違うこともなくただ日々は過ぎて行き、雨は止んでは振りを繰り返していた。河川敷際を通るたびに悲しいかな、彼の普段座っては絵を描いているポイントを目で追ってしまうが、大概は誰もいないか、雨の中律儀に散歩をしている犬とその飼主ぐらいにしか会うことはなかった。数学の問題集はまだ6月だというのにもう終わりかけていたし、わからない所につけていた付箋は日に日に数が減っていった。

「久しぶり」
夏の、太陽の沈みきらない河川敷で彼はそう私に言った。全く意図しない時に遭遇したので私は普段着のままで、しかも手には本屋の袋を下げていた。テスト前期間だったので絶対に遭遇しないと思っていたのだ。彼は自分よりずっと真面目だから部活動がない期間はさっさと家に帰って勉強していると思ったし、遭遇しても校内だろうと思っていた。
「久しぶり、元気」
マリエこそ」
すっかり乾いた芝の上に彼が座り直したので、私は”いつもどおり”その隣に腰を下ろした。彼はよく見知った格好と荷物でそこにいて、まるでテスト期間じゃない放課後のようにそこで過ごしていた事がわかる。
「本当はテストが終わってからあげようと思っていたんだけど、ちょうど会えたし」
花京院くんはおもむろにカルトンと、それから色鉛筆を片付け始めていた。西日が彼の丸いピアスに反射して眩しい。
「夏休みは僕もちょっと遠出ばっかりで忙しいし」
「どこかに行くの」
「まあね、親戚のところでお墓参りだとかもあるし、それから今年はちょっと久々に家族で長い旅行に行くんだけど」
そんなことより、だよ。夕日の作る影は長いので、彼の前髪がつくる影も普段よりずっと長いので面白い。久々にこうして話しているのに私はそんなことばかり考えていた。今度会ったらこれを話そうだなんてずっと雨の間思っていた事柄があるのに全く思い出せないのだ。
「ずっとこれを描いていたんだ。あげるから家まで持って帰るんだよ」
「今ここで見ちゃダメなの」
「家で開いて」
夏休みの美術の宿題を出すときのようにくるっと丸められて、多分彼の使っているスケッチブックの一枚がリボンで止められていた。彼は昔このサイズをなんだかんだと言っていたけれど私はすっかり忘れているし、横から何が描いてあるか覗き込もうとしたら頭を手で止められてしまった。花京院くんの手が大きいことに気付いたのは睫毛に触れられた時からだけど、夏だとしても手が熱いことを知ったのは今日が初めてだった。
「と……ころで期末の勉強はしてるのかい」
「うん、一人でもやってた」
英語がわからなすぎて参考書を買ってきたところだったんだけど。久々に会ったのに何を話そうと思っていたんだっけ。明日暇なら教えてほしいなだなんて少しどこか思っていたけれど、言っていいものか久しぶりすぎて迷ってしまう。
マリエは古典が得意だったよね、よかったら明日図書館で教えてほしいんだけど」
私は言葉も返せずにかぶり気味に頷いてしまった。彼は西日の中でそれに笑っていたけれど、じゃあ明日何時に、と予定を告げてくれることだけは忘れていなかった。じゃあ明日は放課後にいつもの図書館で、今日は暗くなる前にはやく帰るんだよ。私は嬉しくなってしまって、貰ったばかりの絵の筒をぎゅっと抱きしめてしまった。エメラルドグリーンのリボンがすこしずれてしまったので、落とさずに帰って、部屋の鏡にでもつけようとどこかで思っていた。

件の絵は私の横顔で、自分が描かれていたことについても気恥ずかしくなってしまった。明日どんな顔をして会えば良いのかわからないし、絵の中の私が花京院くんのピアスをしていたことについてもずっとドキドキしてしまって、リボンを鏡につけようとしても上手く結べずにがたがたと不器用な形のちょうちょが出来てしまった。何度結び直しても、筒を覗き込んだ時に止められた手の熱さを思い出してしまって利き手のほうの輪ばかりがふくらんだ蝶ができる。じゃあ明日放課後にいつもの図書館で。いつもの顔をして行ける自信がなかった。
20151023 chloe,