誘惑のスイートタイム
マリエの化粧ポーチの中には黒いリボンを結ばれた鍵が三本入っていて、それぞれ彼女のアパルタメント、アジト、それからギアッチョの部屋のものであることを知っている人間は二人しかいない。いや、三人であったか。一度化粧を直しているときに無防備に広げたそのポーチのなかの三本目をどこのものだ?と鏡から拾い上げたイルーゾォもいた。ひみつ、と
マリエは答えてリップを直していた。彼女はもうこの妙な同僚の行動には慣れっこで、拾われた鍵を返すように言ってリップと一緒にしまい直してポーチをとじた。如何せんこのチームは誰しもに多かれ少なかれ、いや多かれ多かれ秘密というものがあるのでイルーゾォもそれに深入りせずに返したのだった。1つは見知った、自分も持っているここの鍵、もう一つは自宅であることが推測できるが他に男でも作っていると思われたのだろう。彼はドアから入らないというからその習慣が解せなかっただけだ。
リボンはよく見ると全部違う柄なのを知っているのはきっと
マリエ本人しか知らない。自宅のは無地のつるつるしたもの、アジトのはふさふさしたベルベット生地のもの、それからギアッチョの部屋のものは同色で刺繍の入ったものでさわるとすこしぼこぼこしている。
マリエは指先の感覚だけでそれを識別して開けていた。もっとも自宅以外は開いていることが多かったから、使っても月に一度くらいのものなのだが。
そういえば、ギアッチョにこの話をしたことがあった。彼の家の鍵も、それから私の家の鍵もおなじ構成のリボンが結ばれていることを知っている人は他にはいないだろう。彼はいつもポケットの奥底に鍵を追いやってしまうから、私のように誰かの目に留まるだなんてことはない。アジトで酔いつぶれている時どうなのかはしらないが、彼の上着は長いからきっとポケットから落ちるだなんてことはないのだろう。私の不注意さにギアッチョはたちまち機嫌を損ねて眼鏡を外した。きっとこれが車に乗っている時だったらドアミラーの一つくらいはだめにしたかもしれない。閉鎖空間の中だとギアッチョはモノに当たらない。以前部屋の中でワインボトルを割った時に、私が足を切ったことを彼は未だに気に病んでいて、ふとした瞬間にその後を指で辿る。
「不注意なんだよ
マリエはよォ」
「うん、そうだった」
「そもそも見られならよく化粧直せんな」
「まあ姿が見えるわけでもないし」
それも気になるの?と
マリエは隣で寝転ぶギアッチョの鼻の眼鏡の跡を指でつまむ。ギアッチョは強めに眼鏡を押し付ける癖があるから、こうして外した時にくっきり眼鏡の跡が残っているのだ。ギアッチョの大きな口が機嫌が悪いとばかりに横に伸びている。一枚のシーツに潜り込んでいるのにこのままではむこうに全てが持って行かれてしまうだろう。
「やーだなーもーそこの鏡でいつもお化粧してるんだからギアッチョだって見たことあるでしょ」
「そういう問題じゃねえよッ」
「ギアッチョかわいいなあもう」
いいこいいこ。鼻から手を伸ばして
マリエはギアッチョの頭を撫でる。いいこいいこ。これで怒るときはその時だ。そうじゃなければちょっとだけ機嫌が盛り返すのがこの行動で、今日はいつもどおり少しだけ溜飲が下がった方の日らしい。ギアッチョはされるがままに髪を触らせていて、それ以上身を動かすこともなくただただ片腕を
マリエに明け渡したまま天井を眺めていた。
「みんなにバレちゃってもいいかなって私は思うけど」
「良かねえよ」
ギアッチョは体を動かすことはしない、けれども
マリエに回した手の先の指先だけはいらいらと
マリエの肩を叩く。いらいら、パチパチ、いらいら。ギアッチョは抗議のためにそういうことをすることが結構あって、それが爪先をぶつけることだとか、小さな接点からするのだ。それがとても子供じみていてかわいいと
マリエは思っていたけれど、それを言うと機嫌を損ねるのでそれについては触れてはいけない。
「でもきっとギアッチョ普段私にやたらと刺々しいからバレバレだとおもうな」
ほら、こないだも私にだけコーヒーいれてくれなかったし。それから私のクッキー食べるし。いつも意地悪するなよって他のメンバーに言われたりすることを知ってか知らずかギアッチョはアジトで
マリエに厳しい。その分家では優しい。
きっとバレていると
マリエが判断しているのは衣服の匂いのことだった。香水を変えたのか、とホルマジオに言われた時に意味深に微笑まれたからで、彼は私に「グリーンティー系の匂いに変えたか?」とわざわざ系統まで示して言ってきたのだ。それはギアッチョの家からアジトに通っていた時期で、確かにその系統の香水をギアッチョは使っている。
マリエの香水はもっと甘いものだったし、その日だって付けていたのだから本当はそのスイセンの匂いがしないほうがおかしいのだ。
「ねえねえギアッチョバラさないんならいっそ結婚しようよお」
「納得いかねえなぁ〜〜〜〜」
「結婚式も無しでいいからァ」
「あのなあ」
結婚することになったら第一バレるだろ、とギアッチョは呆れた顔で隣のマリエの顔を見る。なんで今日はこんなにさめているのだろうと思いがら髪の毛をくるくる巻いて遊んでいた
マリエはその手を冷たいギアッチョの頬に映す。機嫌の悪い子はしょうがないなあ。
「プロポーズは男からするもんだろうがよお」
「意外なとこ細かいね」
「うるせえなァ〜〜〜」
指輪なんてやったら鍵以上にからかわれんだろッ、そう言ってちょっとだけ機嫌の良くなったらしいギアッチョはあいている腕で眼鏡を探していた。からかわれたらギアッチョからって言ってあげる、と
マリエは笑ってギアッチョの眼鏡を先に手にとって自分の顔にかける。目を開けば度の強いレンズのせいで目の前のギアッチョの顔すらはっきり見えなくて、これなら嬉しくて泣いてもばれないかなと思ったけれど、ギアッチョは眼鏡をそっと抜き取ってしまった。涙目の
マリエはちょっとだけ恥ずかしくなってギアッチョの腕のなかで顔を伏せる。お前の田舎ってどこだったっけか、とギアッチョの声が筋肉質な腕からも伝わって聞こえてくるのがなんとなくおかしくて
マリエはシーツのなかでギアッチョのこれまた筋肉質な足を少しだけ蹴った。ふざけるみたいに耳を噛んでくるのはもう定石のパターンで、土曜の昼はこうしてゆるゆると怠惰に過ぎていくのだ。流石にこれは二人だけしか、知らないはずである。
20160101 chloe,as a X'mas request 2015
"5部で嫉妬もの"