蝶々結びの専門家

ああもう見てらんねえ、とギアッチョがキレてからというもの、私の服の背中のリボンを結ぶのはギアッチョの仕事になった。勿論それを解くのもギアッチョの仕事の1つではあるから、アレにまつわるものは大体ギアッチョの管轄と言って差し支えない。今日もゆっくりお風呂に浸かって、それからゆっくりボディクリームを塗って髪を乾かして下着一枚で化粧をしていた。ベッドの上には今日着るつもりのワンピースを出しておいた。このまま化粧をしてから着て、靴も合わせたらちょうどよくギアッチョは来る頃なのではないかしら。生真面目なギアッチョは遅刻をするかもしれないというくらいですら連絡を寄越してくるし、今のところその通知は来ていないのだから多分このままで間に合うはず。マリエはゆっくり鏡に向かっていた。ギアッチョが来るまでに支度が全部終わってもよくないのだ。なぜだかあの男は、まるで点検するかのようにマリエの身支度を確認して、それからリボンを結びたがる。
黒いワンピースに袖を通して髪を服の中からまとめて出すと同時にドアのチャイムが鳴る。マリエは鏡に一度笑ってメイクの仕上がりを確認してそれに応える。
「開いてるわ」
「不用心なんだよ、クソッ」
開いてることなんて知ってるくせに。鍵がささらなければ中に私がいることを彼は知っている。イタリアの普通のアパルタメントらしく内側から鍵を差し込んでいるときは外から鍵なんて開かないし、自分以外に入ってくる人間なんてギアッチョくらいしかいないのだから私は普段をそれをさしっぱなしにしていた。彼は合鍵こそ持っているけれど、こうしてチャイムを鳴らすのだから律儀だ。それでいてやっぱり返事も待たずに勝手知ったるといった体で入ってくるのだけれど。私はその時ピアスをつけていて、ギアッチョが入ってくるのを横目で見ていた。
「ギアッチョ、後ろのリボン結んで」
マリエは全く下手だよなァ」
「ギアッチョが結んだほうが綺麗なんだもん」
背中のファスナーを上げただけのワンピースの背をギアッチョに向けて私はもたもたとピアスをつけていた。こんなの、昼だったらひとりでさっさと付けてしまうのだけど、こうしてお願いをするのももたもた支度をするのも甘えの一環に他ならない。それでもギアッチョは、短気なのも抑えて私のワンピースのファスナー上のフックもひっかけてくれるし、リボンも結んでくれる。神経質な彼の結ぶ蝶々結びは左右が均等で、それから解けなくて、彼の好みであることを差し引いても気に入っている。今日もギアッチョのつめたい指が背中を少しなでて、それから布地をつまんでフックを合わせてから布が滑る音がした。しゅるしゅると布同士が滑る音を間近で聞きながらわたしはようやくピアスをつけてしまう。
「ほらよォ」
「わあ、ありがとう」
ギアッチョの指はそのままリボンから生地に移ってそれからそのまま肩に伸びる。ダーツを辿るようにその指はまっすぐ下へ、腰の切り返しですこし横へ、それからかがんで裾にひらひらと落ちていく。何を確認しているのかは知らないが、一度やっぱりこの服はダメだなんて言われたこともあったっけ。何度着てもダメ出しをされるのでその服は捨ててしまった。ギアッチョはこの点検を通さない限り一緒に出かけてくれないから、そんな彼の気に入らない服なんて一緒に出かけられないからいらないのだ。
「ね、もう出かけない?」
「上着を着ろ、風邪ひきたいのかよ」
「だってどうせすぐ脱ぐじゃあん」
それかお出かけを止めにしない?と真後ろのギアッチョを振り向いて首に手を回せば相変わらず首は温かくて、つい嬉しくなって白いほっぺたにキスをしてしまう。ちょっとリップのついたままのギアッチョはいつもより不機嫌そうな顔をしていたけれど、私はそれが彼なりのはにかみだと知っているから今度は唇にキスをした。うっすら赤いギアッチョの唇。
「風邪引かれてもよォ、看病なんか来れねえんだからな」
「知ってる」
「じゃあいい子ちゃんしろ」
するりと私の腕の間から頭を抜いたギアッチョは私のクローゼットに向かってしまった。私はそれに間に合わせるように靴をはいて、それからギアッチョがコートを開いたのにくるまってそのまま抱きしめてくるのを享受する。指先でギアッチョのほっぺたと唇のルージュを落とせば私の点検は出来上がり。これでやっとギアッチョと私のデートの開始の合図が出るのだ。

20151226 chloe,title from alkalism