潮が光る日

私が前の任務で可愛がられて殺害対象から買い与えられたかわいいかわいいジャガーは今は私の運転でもなんでもなくて、しかもところどころぼこぼこと銃痕がついてしまったのだからもう残念極まりない。この安い給与の暗殺チームなんかにいたら何年たっても買えないだろうそれを運転しているのはプロシュートだし、私は目下その荒い運転に乗せられて助手席から身を乗り出して後方に無骨なサブマシンガンを打ち込んでいるのだ。確かに私は車からの狙撃が得意だけれども、こんなザ・ギャングとでもいうようなドンパチ案件を仮にも暗殺をメインにするチームに投げてくるなんてどうかしている。三人のトップを潰せば自然壊滅すると下調べした奴も居直らせて詰めてもいいと思う。現にそのトップをシメたらこんなことになってチンピラ御一行様を相手にしているのだから。鈴なりの彼らは最初こそいくらか横転させれば一緒に自滅してくれたのだけれども、数が少なくなってくるとそれが狙えないのだけは残念だった。いやしかし最も残念なのはこの状況だ。リゾートのサルデーニャ島、光る海、素敵な車を運転する美形、助手席の私。これが仕事であることがどれだけ残念かということはどれだけ言葉を尽くしても通じ切らないかもしれない。
「おめえこの後時間あんのかよ」
「何?お前って呼ばないでくれるプロシュート」
私は身を車に戻しては空マガジンを足元に放る。薄い色のついたサングラスを掛けたプロシュートの放る言葉に刺々しく返した自覚はあるけれども、事実今一番狙われているのは私なのだからあまり余裕はないのだ。
「あと3台で終わるわ」
「5分でやれ」
「できる、やるわ」
私は再び身を乗り出して後ろの3台に照準を合わせる。車のちょっと前、自分も相手も動いているんだからそれを計算のうちに入れないといけない。それを教えてくれたのは父だったけれども、何年前だったか忘れてしまった。幼いころから言われていた言葉を実践に移すのはそう難しいことでもない。狙いを定めてパンクをさせて、炎上させればこれで決まり。最初にひどい死相を晒した三人を確認してからここまでとっても長かったな、なんて思ってしまう。得意なはずなのに、数には流石に押されてしまう。
「やった、上がりましょう」
「了解、早いとこ首しまえ」
わかってる、と私は体を窓の中に戻す。パワーウインドウを上げれば急にスピードが上がって、足を伸ばすと同時にシートに身を埋める羽目になったけれどもそれすら心地いいくらいには開放的な気持ちだった。爪先に空マガジンが当たる。現地調達した仕事道具ももういらないと残弾を抜いて後ろに放ってしまった。もうこの車も廃車にするしかない、リゾットにスクラップの担当チームに連絡をとってもらわねば。そう思ってテキストメッセージを打っていたら横でったくよお、だなんて汚い単語が聞こえてきて、私は場所も把握しているだろうからとメッセージをごくごく簡素に仕立てて送ってしまう。
マリエにしちゃあいい車だなァ」
「もう廃車決定だけどね」
「またどっかで拾ってくんだろ」
「からかわないで、仕事だったのよ」
海の照り返しが眩しい。私は自分のかけていたサングラスを外してダッシュボードに放った。運転もしない、照準も付けないではもういらないからだ。それにあまり慣れていないので長いことする気にもなれなかった。
「そういえばさっき言いかけたのは何?」
「ああ」
大きなカーブの後で裏路地に車を駐めてプロシュートもサングラスを放る。待ってろ、と言い残して外に出た彼の言葉に従って私は遠心力でつんのめりかけた体を再びシートに戻した。手持ち無沙汰だわ、とガラスの向こうのサルデーニャ語のあまり正確に意味の取れない標識を眺めてみた。ここもパッショーネの支配下なのに言語がわからないなんてあるんだなあ。
そんなことをぼんやり考えていたら隣のドアが開いて私は跳ね起きる。さっきの仕事と今さっきのぼんやりした時間、それからこの瞬間みたいに体感時間が違いすぎてびっくりだ。
「俺だ」
「あ、ごめん……」
私はプロシュートから伸ばされた手を掴んで外に出る。ようやく正しい形でドアから外に出た、薄暗い路地に自分の靴の踵が響く。
「この後バケーションでもどうだ」
「まさか、サルデーニャ島じゃないわよね」
「コルシカでどうだ」
最高。その言葉を聞いて私は腰に回された手にもたれかかる。次の瞬間私の背中はプロシュートの腕から廃車になったジャガーの背にくっついていた。肩を掴まれて顔が近づいてくる。マリエ、だなんていつもお前呼ばわりする口が自分の名前を呼んでいて不意に感覚が研ぎ澄まされてしまった。冷たい背中に反して顔が近い、熱が近い。
「さっきの言いかけたやつぁよお、休暇の誘いだったんだ」
「う、うん」
「色気のねえ返事だな」
遠慮もなしにプロシュートの足が車体を蹴って自分の足の間に挟まる。身動きがとれない、それからもっと距離が近くなる。近いどころか布を介してくっついている。こんなフィジカルの差のある接近なんて久々だ。それにしても体の端が熱い。こんな体験いつぶりだったっけ。
「口説き文句ってえのはなあ、普通は口を挟むもんじゃねえ」
「うん」
できるな?と問われて目の前のプロシュートを見上げれば顔が迫ってきたので目を伏せた。それでも唇に薄いその感覚が落ちてくることはなく、代わりに冷たい指がおあずけだと笑って私の唇の輪郭をなぞったので、私は仕方なく目を開けた。たまらなくなって私はその白い指を噛んでしまう。ヤニの味がして美味しくないその指の持ち主は、釣れたなと言って私の体を再び起こしてもう一度腰に手を絡めてきた。私はそれに甘んじて、どこか満たされない気持ちのまま表通りに歩みを進めた。

20151228 chloe,