sur la mer, sous le vague
So what?
マリエは金属製のライターで咥えた煙草に火をつけながら、修士の学生の話をろくすっぽ聞かずにそう返して一口目をふかす。
「で、あなたが言いたいのはそういう不毛でどうしようもなくて、気に入らないことを人種問題も含めて私に詰っている、そういうことでいいのかしら」
「そういう態度をされるから私としても言いたくなるんです」
「ホントにあなたって馬鹿よね、私が気に入らないことを私に言うなんて。それならダメ元で空条博士に言えばいいじゃない」
だから馬鹿な女子学生なんて取るべきじゃあないのよ。そう言って
マリエはクリップボードに留めてある目の前の女子学生の成果に視線を落とす。ふうん、あなた1年半もいるのにまだ一本もアクセプトされてなかったの。あと何年修士続けるつもり?そう言ったところで学生の目元が涙で光っていたのは知っていたけれど、今更詰問を止める気にもなれなかった。そもそもこの事柄を引っ張ってきたのはむこうであって、そのつもりできたと受け取れば比較的正当な結果でもある。――尤も、これをハラスメントとして上に報告されると面倒ではあるけれど。
「
島原さんにはわかりませんよ、そうやってズルい生き方されてるんですもの、目にかけてもらう頻度が違います」
「あなた論点がズレてるんじゃなくって?私が今何をしてようとあなたに詰る権利はないし、そもそも私が修士だったときは別のところで何の庇護もなしに成果は出したわ」
私が承太郎に会ったのは一昨年よ。何を言っているのかしら。言っておきながら
マリエは自分の言葉にハッとするのだった。この二年の間私は一体何をしていたのだろう。研究助手をして、自分の研究を進めながらつてで財団の研究職のポストを得て、それから…それから海に出たり、日本に行ったりなどしていただけだ。勿論この小娘の指導なんて、そもそも担当ではないのだから成果が出てようが出てまいが私には関係なんて全く無い。それでもこの研究室の主、空条博士に惚れ込んで州外から来たというこの小娘は事あるごとに私に突っかかってきていた。その集大成が今この瞬間というだけだ。
彼女の言う、この州では不倫が犯罪になりうることなど最初からわかっている。それを理解した上で私たちはこうして関係を築いているのだし、それをぽっと出の小娘がキャンキャン騒ごうが喚こうが何が変わるわけでもない。彼女の喚く宗教的道義なんて米国市民ですらない私達にはもっと縁遠い存在だったし、だから何、という当初の感想は正しかったと
マリエは悟る。副流煙を彼女のCVに吹きかけても何も変わらなくて、ただただひどい、だの、信じられない、だの、少なくとも成果を上げていない人間のいうべきでない言葉だけが私のデスクに降り積もってゆく。
「で、あなたは私にアジアンだから学校も研究室もポストも枠があるだの好き勝手言ってくれたけれど、それってあなたも相当首を自分で締めてるって流石に知っているわよね」
私についてはどうでもいいけれど、私憎さに彼女の意中の承太郎すら貶めているのは許し難かった。優秀なんだもん、知ってたはずだよね。そう畳み掛けて私はニッコリ笑って煙草を携帯灰皿に落として消す。もうこれ以上話を続ける価値なんてない。彼女が本当に優秀なら、今さっきまで彼女がタレ込もうとしていた数々は今の自分の発言には劣ることがわかるはずだし、そうでなくて馬鹿だったとしても、修士課程中退すら目の前に迫っていることが明らかなのはわかるだろう。多数派の彼女は気にしないかもしれないけれど、ここではそれが一番いけないことだからしょうがないね。
「それじゃあね、きちんとあなたの研究に戻ってもらえることを期待しているわ」
マリエはそのままクリップボードを裏返しておいて席を立つ。与えられた小部屋から彼女をも追い出すようにして出て、鍵を掛けてポケットの中にしまって
マリエは廊下に出た。待ってください、だの打って変わってすがってくる彼女にひらひらと手を振って
マリエはまっすぐ廊下を進み階段をおりかかる。彼女の居場所は、ここだと自分のオフィスか実験室、それから裏庭くらいにしかなかったのだから、撒くにしても稚拙なのはわかっていた。
ポケットの中のPDAで承太郎がオフィスに在室しているのを確認して、階段を一段とばしに降りてそのフロアに一目散に降りる。息が少し上がっているのはご愛嬌だけれども、とポケットにものをしまってから襟を直して
マリエはそのオフィスのドアを3度、リズムをつけて叩いた。
「開いている」
日本語のその声に
マリエは安心してそのノブを回す。どこかしら乾燥した紙の匂いがするオフィスが
マリエは好きだった。それから懐かしいとすら思う日本語を使うことも。承太郎はいつもふたりきりのときに日本語を使っていた。勿論外でもそうで、船でもそうなのだけれども、それ以外の用事では必ず英語だったので自ずと場所を見極める能力というのは身についてしまっていた。
「ハーイ、ドクタークージョー、ご機嫌いかが」
「禁煙失敗のようだな」
「馬鹿な修士のせいよ」
マリエはドアを開けて室内に滑りこんではドアを閉め、それから承太郎のデスクに寄る。机の上の娘の写真を見るたびに私はバツが悪くなるので、ここで致すことだけはなるべく避けていた。もっとも彼もそんなありきたりのことを求めてなんていないのか、もっぱら海かそうでなければ
マリエのオフィス、それか学生が駆け込むみたいな街外れのモーテルにいくことばかりが習慣だったけれども。
「若くして才能もあってモテるって大変ね、あなたの分までやっかみを受けるのは私だわ」
「言わせておけばいい」
「私にはそんなに才能も人気もないのに、ちょっと妬いちゃう」
承太郎がイスを回転させてこちらを向いていた。それを機に
マリエはその膝の上に無遠慮にまたがって承太郎に向き合う。きらきらした緑色の目がこちらの焦りだとかまで見透かしてきているようでいつも落ち着いた試しがない。冷静に射竦めてくる視線にいつも丸裸にされるような気持ちにしかならないと、男子学生すら言っていた事を思い出して
マリエは思い出し笑いをすれば何がおかしい、と承太郎は厚い唇を震わせた。こっちはいつも脱いでるっていうのにね。
「ううん、思い出し笑い」
「気味悪ィな」
明らかにリップノイズを立ててその唇にキスをする。少しばかり今日は機嫌が悪そうだ、と思ったけれど、本当に機嫌が悪ければ部屋に入れようとはしないのだからいい方だと思って
マリエは帽子に手を掛ける。
「承太郎、セックスしましょう」
「気でも触れたか」
「妻子持ちとする時点で触れてるわ」
それもそうだな。承太郎は手を伸ばして家族写真を伏せて
マリエの腰に手を回す。化繊の白衣の下に回された大きな手の暖かさに少しばかり胸の奥が疼いて
マリエは甘いため息を吐く。
いつだってそうだ。情緒のある導入から私をめちゃくちゃにする。彼にとっては単なる玩具だと頭ではわかっていても、この手で触れられるとどうしても幸せな勘違いをしてしまうのだ。最初は日本にいく時の助手で、それからこうしてずるずると関係が切れないまま次の財団のテニュアすら渡されて、一体いつ切れというのだろう。このまま飼い殺しにされてもいいだなんて最近思い始めて、そして今日みたいな子供じみた嫌がらせの声を聞いて、こんな場所で馬鹿みたいな行動を取ってもなお嫌いになれない。この感情は好きという形に嵌めこむにはすこしばかり形がいびつすぎる、と
マリエは思っていた。カットソーの裾がスカートから引っ張りだされて、その間に侵入する厚い手のひらが背を粟立たせる。この感覚は今までのどの男よりも好きだということは正しい。
「ゴムして」
マリエのその言葉に承太郎は胸のリボンを解きかけた手を抽斗に戻す。鋭い緑の視線は相変わらず
マリエに注がれたままで、どんと承太郎は抽斗から目当てのものを探しだしてテーブルの上に叩き置いた。
「これだけは執拗だな」
「間違っても承太郎の子供なんて欲しくないのよ」
「俺が嫌いか」
「面倒だもの、それにあなたとの子供よりずっとあなたとの研究成果の方が欲しいわ」
奥さんには出来ないでしょ?そうなけなしのプライドで笑って解けかけたリボンを自分の手で外して白衣も脱げば、可愛げがねえとマルボロの香る言葉が
マリエの唇を塞ぐ。白衣はポケットの諸々のせいで鈍い音を立てて床に転がって、どうせこの服もその上に落ちるのだろうと苦い舌に応えながら
マリエは思っていた。大きな手がどれだけ繊細に自分のボタンを外すか、私はこうなるまでずっと知らなかった。初めての時はきっと服を破られるのだろうと勝手に思っていたし、ストッキング以外でそんなこと一度だってなかったのだけれども。
「研究パートナーはお前しかいない」
「のぼせちゃう」
「それで良い」
奇妙なものを追っていることもなんだって知っている。遺跡調査みたいなことをしていることも。それを知った上で私は彼の本業の研究も、裏の研究も手伝ってポストを得た。それについては後悔なんてしていないし、この関係についても後悔はしていない。それでもどこか後ろめたさが抜けなくて、私は次の論文が通ったら任期の通りここを離れて研究所だけに絞ろうと決めていた。そこではきっとこんな三文小説みたいなセックスなんて出来ないだろう、それでいいのだ。私はもうパートナーはお前だけ、だなんてかわいい言葉にのぼせあがるほど小娘じゃない。
「私船でするのが好きだったわ」
「研究成果が子なら、調査は性行為か」
「やあねえ、そんなんじゃなくて」
するするとシフォン生地のカットソーが脱がされて床に投げ捨てられる。
マリエは承太郎のシャツを脱がそうとしたけれど、そのボタンの固さに辟易して大概首元2つでやめてしまうのが常だった。そもそもこの姿勢じゃあ一度降りないと脱がすことだって難しいし、と
マリエは今日も本棚に手をつくだろう事を悟っていた。
「単に外って開放感があって好きなの」
「フン」
下着すら取り払われてあらわになった私の胸に承太郎の顔が近づく。この時いつもどこを見ていいかわからなくて、私は大概壁にかかっているカレンダーを眺めることにしていた。それでもいくつかの日に拙いクレヨンのマルが描いてあって後ろめたくなって
マリエは本棚の見知ったタイトルに目を移した。ぴりっと走る痛みと快感が口から漏れ出るけれど、それを合図にしてか彼の行動は止まることなく
マリエの体に舌を、指を這わせてその溜息でオフィスの空気を満たそうとするのだった。その閉塞感も
マリエは苦手だった。船の上の開放感が好きで、それから海の中でじゃれあうのもぴったり二人分しか生者のスペースがない感覚は好きだったけれど、この閉じられた空間でどんどん内側に深化していく感覚だけはどうも好きになれずに
マリエは大抵窓を細く開けていた。
「す、好き」
これは嫌か?と大抵承太郎は否定形でしか問いかけをしない。それはひとえにこの言葉を言わせるためだということに随分前から
マリエは気付いていたし、それがずるいと指摘しても承太郎は止めもしなければ
マリエも抗うことなんて出来なかった。スカートのジッパーに手を掛けられて
マリエは膝から降りて床に立ったけれど、それに続いて承太郎が立ち上がったことを認めてから
マリエは今日だけはとそのズボンのバックルに手を掛けた。今日だけは私が攻めたい、今日だけは。きっとこの部屋でするのも最後なのだし、誘った以上はという思いからだったけれど、2つのそれに戸惑えば承太郎は懐かしい常套句を吐いてそれを片方だけ手助けしてくれるのだった。
「慣れないことはするもんじゃねえぞ」
「私は優秀な助手なので、お手本さえ見れば出来ますわ」
私が上に乗ってもいいかしら、とズボンをその場に落として
マリエは承太郎の下着に手を掛ける。緑の目が細められたことは半分非難の色を含んだイエスだということを
マリエは知っている。再び承太郎をイスに戻して、下着越しに触れながら上に戻ってシャツを再び脱がせれば、肩を竦めた彼は少しだけボタンを外して、それから私の腰を掴んで邪魔をする。息が上がるのはやっぱり禁煙が必要だ、と思いながら
マリエは再び彼のしたように胸筋の隅から首まで舌を這わせて、布一枚でせめぎ合う中に手を添えた。
「スピードワゴン財団に行けばもうこんなこと出来ないわね」
「うるせぇ」
目の前のことだけに集中できないのが
マリエの悪い癖だ、と熱い吐息が私の鼻をくすぐる。同時に下着がずらされていて、一転形勢逆転の形相で
マリエは膝立ちになるけれども手は机に届かずに、彼に掴まれた腰が敗因で粘膜同士が触れ合って
マリエは嬌声をこぼした。勝ち目なんてなかった。このまま逃がさず、殺さず、飼い殺しにされていく未来も悪くないかもしれないと考えが一転しそうになるのを
マリエは動きと共に生まれる快感のなかで掴んで離さないようにするけれども、ピンポイントで噛まれる快楽の源泉に抗えないまま
マリエは承太郎のシャツの襟だけを掴んで果てることしか出来なかった。だめ、という
マリエの甘い囁きすら彼は聞き入れずに、むしろ副素材として享受しながら数度に渡り
マリエを攻め立てては口に注ぎ込むことで終わりを告げた。
その名残を嚥下しながら
マリエはかろうじて手放さなかった自分の意志を確認するけれども、唇を太くて節くれだった指で拭われると少しばかり情を思い出して再度をせがんでしまう。これじゃだめだ、と思ってはいるのだけれども、きっと私はこのまま自分の意志ではこの人の助手から離れられないという直感に目を背けるにはこうする以外に方法を知らなかった。直視したところでこの頻度が上がるだけでなんにも変わらないだろう。それなら楽しまない以外の方法があるのかしら?
20160125 chloe