Osaka girls collection
先輩のドレス、綺麗。
職場の先輩の結婚式の帰り道、後輩と一緒に地下鉄を待っているときに彼女はふとそんな感想を漏らした。ありがとう、と返せばそれってけっこう初めのころのyuj1の服ですよね?と疑問が返ってくる。ユウジ、それはなんて懐かしい響きなんだろう。そう、ほんとに最初の頃のラインのもの。昔ある人に贈ってもらったのと返せば後輩はいいなあ~だなんて幸せそうに笑っていた。彼女はおしゃれだからもう気付いているのかもしれないけれど私はあそこのメゾンの服ばかりを買っている。仕事に行く時着るものは特に。そして未だにこんなものを、着ている。
これは彼が独立してデザインをするにあたって初めてデザインしたものなのだ。採寸は彼が、そしてベースの型は私で取った。あれから結構時間は経って、色々なことがあったけど私は未だにこれ以外のドレスを買い直していない。未練がないとは言い切れないのだろう。
「先輩yuj1の服好きですよねえ、私あんまり似合わないんで羨ましいです」
「何でかいっつも選んじゃうのよ。同い歳のデザイナーだからかもしれない」
まさか。いつもここのメゾンを選ぶのは私の唯一の未練だ。まだ同じ型を使っているのか、そして路線を変えていないのか気になってしまうのだ。もちろん合わせやすいというのもあるのだけれど、きっとそれ以上の大きな理由は無い。デザイナーが、一氏が型を変えたとき、その時きっと私はこのメゾンと、それからあの人から卒業する。
「へえー一氏ユウジですっけ、デザイナー。先輩と同い年なんだ」
「本人はだらしのない男よ」
ほら、あんな風に女の子侍らせてる男みたいな、と向かいのホームでだらしなく笑いながら電車を待つ男を示すと、あの髪はなんとなくあの人に似ているだなんて思ってしまって自分の未練がましさに寒気がした。向かいのそのだらしなく笑っていた男は私の視線に気が付いたのか私の方をまじまじと見てくる。とても一氏に似ていた。もしかしたら彼なのかも知れない。思えばここは大阪だった。私が大学時代を過ごした街、そして彼との思い出の街、彼が未だに住んでいる街。向かいのホームの男はだらしのない笑みを引っ込めて階段の方に走っていった。
*
大学は家を出たい、と親に懇願してやっと出てきた大阪の街。ここにすんでもう二年目になる。家を出たかったのは実家だと息が詰まるから、そして大阪を選んだのは近畿に親戚が居ないから。ただそれだけで受験し合格してはじまったここの生活はあっという間に一年が過ぎてしまった。最初こそ初めての自炊に洗濯、家事に辛さと面白さも感じていたし、大学が始まってからは課題もあって新しい生活をギリギリではじめて行くので精一杯だった。二年目になってやっと色々余裕が出てきた気がする。今こうして日曜の朝早くにスーパーへ来るのももう慣れたものだった。
「お姉ちゃん落としたで」
そう言って肩を叩かれ、振り返れば若い男性がわたしの買い物用の折りたたんだエコバックを持っていた。どうやら上着のポケットから落としたらしい。
「ありがとうございます」
一礼して受け取ると、男は私のいまだにこちらに染まりきらない標準語に驚いたのか目を丸くしていた。それもそうだ、こんなラフな格好でいて違和感のある話し方に違和感を覚えない人は居ないだろう。一年経ったいまでも友人と話していて普通に私は標準語だ。こそばゆいから止めろと言われても、どうしても染まらなかったのだから仕方がない。
「最近越してきたんか」
「いえ、一年くらい前に」
朝の割にこざっぱりした格好の人だった。さりげなく買い物かごをカートに載せられる。これは新手のナンパ?まあいい、レジぐらいまでなら付き合ってやろう。そう思って私はなすがままに従っていた。
男の名前は一氏ユウジ、専門学生でデザイナー志望。なんだか話の中ではもう誰かの下でお手伝いをしているみたいだった。私の大学に後輩がいるみたいで(財前くんと言ったろうか、とにかく同じ学部らしい)なんとなく話が弾んでしまっていた。この後どこかでお茶でも、だなんて口がすべりそうになったけどそれは言わなかった。朝のスーパーで会うだなんて確実に近所だ。
ほなな、袋詰めまで手伝ってくれてから一氏はその場を離れた。本人のおつかいらしい牛乳はしっかり別途買って手にぶら下げながら。家に帰ってから彼の名刺らしいものが袋に入っていたけれどそれに連絡すらしなかった。また今度会ったときにお礼は言えばいいと思ったから。そして必ず会うだろうと思ったから。
案の定一週間後のまた同じ時間、同じところで私は一氏に会った。連絡してくれてもええやん、そう彼はすこし残念そうに笑いながら私の横をカートを押してくる。
「だって、また会えると思ったから」
それがきっかけで私たちは出会った。その日の昼間に今度は連絡をして待ち合わせて、赤い鳥でココアを飲みに行ったのだ。それからは坂を転げ落ちるように連絡して、会っていた。彼は私の肩のつくりが好きだとこの時から言っていた。
「お前を採寸させてくれんか」
そう彼が言ったのは出会ってから一年くらいした気怠い朝のことで、情事の名残りを留めた空気の中を二人でごろごろとしていた時の事だった。突然のことでサイスン?と私は彼の腕の中で疑問符を飛ばす。せや、
マリエの体測りたいねん、と彼は素っ気無く答える。
「え、私太ったかな?」
「そうやない、今度服きちんと作りたいねん。せやからお前の体をベースに型取ろ思ってな」
この時もう既に彼は専門学校を卒業していて、彼はお父さんの事務所に入っていた。長い目で見ての発表にするらしく彼はサイドテーブルからラフスケッチを出して私に夢を語る。お嬢さんお嬢さんした、でもシンプルな服が作りたいんだと熱を持った声で囁く声を聞きながら私はゆっくりとまぶたを閉ざした。もう寝るんか、と残念そうに言う一氏の問いにもたれかかることで答えながら私は眠る。一氏は相変わらず私の肩を撫で回しながら(彼は私の体のパーツの中で、胸の次にここが好きだった)夢を語っていた。いつもこうして私は一氏の声を子守唄に眠るのだった。そう、いつの間にか私はあまり家に帰らなくなっていた。このすこし二人で住むには手狭で、一氏の私物でうまく片付かないこの家でおままごとのような同棲生活が楽しくてたまらなかった--昼に私は大学へ、一氏は仕事へ、そして夜はむつみ合う。
それからしばらくして一氏は本当に私を細部まで採寸した。途中でじゃれて中断することもなくそれはそれは真剣に彼は私を採寸したのだ。すべてが終わればむしゃぶりつくようにそのままベッドになだれ込んだのだけれども、やっぱり仕事に向き合う時の一氏は真剣そのものだった。いつか俺の作った服を着せたる、そう囁きながら彼は私を抱く。少し自分勝手な一氏の私の扱い方にはもう慣れてきていた。マリエが俺の作った服を着たとこが見たいんや、そう囁かれ私は催促するように指を甘噛みする。
出来上がったのはそれから半年くらいあとのことで、彼の手で作られた紺と白のワンピースたちを私は彼の手で着せられていた。立って、後ろ向いて、歩いて。狭い部屋の中でふたりだけのファッションショーが繰り広げられる。つぎはこれ、そのつぎはあれ、もう一回最初に着たのを着て。何かひらめいたようにメモに書き込んで彼は注文を矢継ぎ早に私に投げる。私はそれに従いながら彼だけの専属モデルを務めるのだった。
最終的に完成したのはそれからひと月後で、さすがにノースリーブのそのワンピースを着るのはすこし寒かったけれど彼の視線は熱かった。なんども聞いた言葉が彼の視線に乗って聞こえてくるようだった。俺の作った服をマリエに着せてやる。完成や、と彼は言って私を脱がせて抱いた。いつもと違ったのはその脱がせた服をきちんとハンガーに吊るしたことと達するのが早かったことぐらいだった。すこし夢がかなったような気がしてお互い妙に興奮していたのだろう。翌朝私は2限までさぼり、一氏はすこし遅刻して仕事に出かけた。完成したワンピースを持って。
それが私たちの一番楽しい時期ではなかったろうか。
それからの日々は、あまり幸せではなかった。私は就職活動に追われるようになり、彼は彼のメゾンを作って独立するために東奔西走していた。
そのうち毎日のように入り浸っていた一氏の家からも足が遠退き、向こうも向こうであまりこちらの家にも来なくなった。尤も、メールなり電話なりを返さなくなってもスーパーでたまに遭遇しては、少し会話をしたのだが。一氏のカゴにはいつもカップうどんともやし、それからヨーグルトがあった。器用な癖に、明確に付き合っているときからあまり手の込んだ料理を作れる男ではなかったが、向こうもきっと忙しいのだろうと思うようにしていた。
それから私は職を得、一氏に報告しようと久々に彼のアパートを訪れたのだが、彼に会うことはできなかった。郵便受けに挟まっているチラシから、まだきっとそこには住んでいるのだろうけれどもずいぶんと家に帰っていないだろうことがわかったのだ。私ははじめの一週間だけ一氏の家に通って、留守を確信してから手紙を残し、メールを送り、その返事を待ちながら大学生活の残りを楽しんでいた。
一氏と過ごした時期のことは、誰にも話していない。至極真面目に大学生活を送っていたし、何より彼氏、だなんてきちんと誰かに話したこともなかったから、一氏を彼氏と呼び、扱ったことがなかった。強いていうなら彼氏より、擬似家族だったのだと思う。何より私達は、かつて高校生の時に体験したような世間一般的な愛の告白なんてせずに、いつの間にか燃え上がって一緒にいたのだった。一氏の消息が知りたくて、一度話題に出たことがある彼の、そして私の後輩らしい青年を探したこともあったが、名前と学部名、それから出身校だけで探せはしなかった。もちろん手紙は返送されることもなく、返事が来るわけでもなく、他の連絡手段も不通のままだった。
それから月日は流れて、私は卒業寸前に彼の名前を見ることになる。バイト帰りに書店に寄って雑誌を立ち読みしていたら、その中の特集で、彼のお父さんのメゾンの、新しいラインのデザイナーとして彼の名前と、それからずいぶんやつれた彼の写真があったのだ。
ずいぶん遠いところまで行ってしまった、と思った。私はまだ学生で、これから普通のOLになる。そしてこの後もおそらく、大阪に残る。一方彼は、同じ学生のときに、あの狭い5畳の部屋で作った服をもとに世界に羽ばたいていくのだ。卒業式の前に最後の連絡をしようと思っていたが、それを止めるのに十分すぎる出来事だった。
私はそのまま、人並みにゼミ生や、クラスメイト、同期や後輩に囲まれた卒業式に参加し、OLになった。それから未練がましく、はじめてのボーナスで彼のラインのワンピースとドレスを買って今に至る。あの狭い五畳の部屋で作ったときのようにしっくりきたそれ以来、私は毎回新作を買い求めるようになった。
パーティーや結婚式にピッタリですよ、といってドレスをあてがった店員の顔はもう覚えていない。ただ、彼女にとっては右から順に買っていく私は都合のいい、よくわからない客だっただろう。ただ、彼の名前がそのままブランド名なことだけが、着るたびに感傷的な気分になるので良くないとは思っていた。
現に今だってユウジ、と口にしてしまっただけで感傷的な気分になった。あの人はなぜ連絡を断ったのだろうか、嫌われたのだろうか。そんな気分を押し隠して私は目の前の後輩と毒にも薬にもならない会話をしていた。昼休みの延長のような話。ブーケが欲しかっただの、彼氏に結婚でも迫ってみようかな、先輩今いるんですか?だの。
メロディとアナウンス、それから圧迫された空気とともに地下鉄がホームに滑りこむ。降りる人を待ってから、後輩を先に乗り込ませ自分も続いた。
「マリエ」
足音とアナウンスの中で聞こえた私の名前は、懐かしい低音だった。乗車とほぼ同時に聞こえたそれに振り向くと、ホームの階段に、さっき向かいのホームで女の子を侍らせていたあの男がいた。一氏に似ていると思った男が。
「待ちや」
扉が閉まります、そのアナウンスの中で私はどうすべきか混乱の最中にあった。どこかで一氏なわけがないとも思っていたし、一氏であってほしいとも思った。何年放っておかれたんだ、ひどい、私は何度も連絡をしたのに。
「俺や」
男は階段から走りながらこちらに向かっていた。駆け込み乗車はおやめください、と時間柄のんびりしたアナウンスが注意しているのは彼だろう。俺や、って。一氏なのか、そうでないのか、はっきりわからないじゃない。でもこんな時にどうすべきかなんてわからない。彼はきっとこの電車には間に合わない。
「次で、次で降りてくれ」
閉まりかけのドアに男はそう叫んだ。彼の目の前でドアは閉まり、電車は動き始める。次の駅で降りたら、私は家に帰るまでに終電に乗る覚悟をしなくてはいけないかもしれない。それでも一氏だったら降りたいなんて思ってしまった。かといって、いまさらどんな顔して会えばいいのか、何を話せばいいのかも検討がつかないのだけれども。
「私、次で降りるね」
あまり考えずに私はそう後輩に告げていた。はい、また明日、と彼女は返す。こんな風景を見せて申し訳なかったと思っていたけれど、その顔には興味の色が浮かんでいたから、きっと来週の昼には詰問されるのだろうとも思った。
数分の乗車で次の駅で降りる。ターミナル駅でもないこの駅で降りる人なんて、週末のこんな時間にはほぼいない。私は酔いが冷めてすこし寒気のする首にショールを巻き直し、古い壁に寄りかかって次の電車を待った。数分が永遠みたいに長くて、どんな顔をすればいいのかわからなくて手のひらに汗をかいていた。
永遠みたいな5分のあと、彼は数分前に私がそうしたようにただひとり地下鉄から降りてきた。私は猫背気味なのがやっぱり一氏なのかもしれない、と少し感傷に浸っていた。
「おう」
「一氏?」
すまんかった、そう言いながら一氏は私の汗ばんだ手を取った。
「マリエ。俺や。一氏ユウジや」
連絡、返せなくてすまんかった。それは俺の服か、立て続けに彼は私に話しかけてくる。その話し方、勢い、全てあの学生時代の熱に浮かされた青年のそれだった。
「俺な、お前にな、着てもらいたかってん」
失踪の、いや、連絡無精の非礼もそこそこに彼はそう言って私の肩に触れた。未だに回顧の中で生々しく思い出していたあの触り方はそのままで、きっと私はどうしようもない顔で一氏の顔を見上げていた。
「おそい、おそいよユウジ」
わたしずっとあいたかったの、それしか言えずに私はユウジの腕を掴んで、されるがままに抱きしめられていた。
「わたしずっと ずっと連絡してたのに」
「見てた、見てたんや、メールは」
返し忘れてしまったけどな、そう言いながらユウジは頭を掻いた。変わらない癖だ、本人だ。
「自分もな、いつ引っ越したん」
「しゅ、就職してから」
俺もな、それから引っ越してん、ここの近くにな。そう言って彼は笑った。こんな都心に引っ越したなんて、いかにも、いかにも成功したデザイナーだ。
「もっと話したい」
少なくとも空白の5年分は。彼はおそらく、私を彼の家に誘っているのだろう。でもそれは出来ない。私には明日があって、明日も朝から仕事なのだ。私はまだ電車に乗って、一回乗り換えて市外まで帰るのだ。一氏を忘れたくて郊外に出た過去の自分の選択だ。
「服ならある、お前に着せたい服ならなんぼでもある。うちに来てくれ」
煮え切らない私はユウジの顔を見上げられなかった。目を見れば、頷いてしまう。私は頷けないのだ。抜けかかったアルコールもそれを肯定している。
「わるいけど、明日の夜に」
「今夜、家まで送るから」
いつのまに免許なんて取ってたの。そう反論しようと思ってユウジの顔を見上げたら、うん、と私は返事をしてしまっていた。相変わらず変なアイウェアだ。変なバンダナをしていた昔も、変なメガネをかけている今も変わらない。それでも私はその下の素顔を知っている。
「明日も仕事なの、ぜったいよ」
電車の接近音が鳴る中で、一氏は私にキスをした。聞きたいことはたくさんある、夜はまだ長い。