潜熱

 ハタチを超えるまでは何もしないよ、そう御影から告げられたのは18の春で、それからかれこれ3年と少しは経過している。本来の期日であったはずの美奈子の20歳の誕生日は飲酒の解禁でそれどころではなかったし――想像以上にアルコールに耐性がなかったようで、乾杯したシャンパン1杯ごときのみで真っ赤でふにゃふにゃになった美奈子を御影が介抱の末、抱えて眠るだけの夜になってしまった――それ以降も、上手いきっかけを見いだせずにここまでの歳月が流れていた。

 今日も今日とて、いつもどおりだろうという確信が美奈子の中にはある。就職活動の最中に休みを連日作って、連休にして御影の部屋に来ていた。一日中遊んでくたくたの体をバスソルトの入ったお湯に沈め、身支度も終え、もうすでにパジャマ代わりの御影のTシャツに着替えている。普段朝が早いぶん夜も早い御影は、きっとあと数分であくびをしながら自分をベッドに誘う。もう寝ようか、真面目ちゃん。その言葉で従順に御影の腕の中に収まり、おやすみのキスをして、少しばかりいちゃいちゃと触れ合って眠りにつく。
 それがここ数年の自分たちの習慣だった。御影のハーブの青々とした匂いに包まれながら眠るのは心地よいし、自分よりも体温の高い御影に抱かれると安心もあってかよく眠れるのだけれど、御影が自分の肌に触れていると埋み火のような熱が身体の奥に灯るのがどうしても言い出せずにいた。在学中は手を握ってすらくれなかった大きな手が、シャツの下の自分の下腹部をゆっくり撫で回す。
 そんなとき御影は自分の首筋の匂いを吸っていて、自分の息の乱れを知られたくない美奈子はたいてい息を潜めてしまうのだった。部屋にいるときはおんなじシャンプーを使っているはずなのに、御影は自分から甘い匂いがする、と主張し寝る前にそうして美奈子を抱きしめて首筋に顔を埋めるのが好きだった。

 最近は思い出すだけで身体の奥に火が灯ることを、きっと御影は知らない。日々のメッセージで伝えられるわけがないし、かつての約束だって自分の失態で機会を逃してしまったのだから。それでも今日は既に期待してしまっているな、と美奈子は鏡の向こうの自分の瞳を見て自覚する。歯磨き後のマウスウォッシュの清涼感など全然消火になるはずもない。スースーとした清涼感に身の熱をごまかそうとしても無駄だった。

「美奈子、もう寝ようか」

 見計らったかのような御影の声に美奈子ははあい、と声を上げてもう一度口を濯ぐ。洗面所から顔を出せば、御影はいつもどおり髪を解いて既にベッドにいた。御影のザラッとした声が今の状態では身体の奥に響いて仕方がない。
 捲られたシーツに足を通せば、中は既に既に御影の体温で温まっていて美奈子は自分の爪先の冷たさを思い知る。導かれるように御影の伸ばした腕の中に収まって見上げれば、いつものように御影は自分の顔を覗き込んでいて額にキスを落としてくる。おやすみ美奈子。美奈子も美奈子で腕を伸ばして御影の首に手を回し、ミントの味のキスを返すのだった。優しい額の感触に嗜虐的な気持ちになって、つい唇の間から舌で御影の唇の捲れたところを辿れば御影が自分に置いている手に力が入ったのがわかる。

「……どうした」
「どうも、しませーん」

 ちゅう、と御影は美奈子の上唇の先を吸う。こだわりのアシンメトリーの先が美奈子の顔をくすぐってどうも身じろぎをしたくなるけれど、相手はそれを許してくれずにゆっくりと美奈子の身体をベッドに押し戻すのだった。お腹が期待でじわじわと熱い。唇が離れて目を開けば、いつもこんなときには泳ぎがちな御影の目が目の前にあってまっすぐ美奈子を見つめていた。そんな目で見られたら、いまの私の目が熱で溶けていることがバレてしまうじゃない。

「いいのか」
「うん」

 御影が居直したタイミングでベッドが軋みを上げる。やっぱり先生って大きいな、と美奈子は自分を真上で見下ろす男を見上げる。そんなこと十分知っていたけれど、改めて真摯な目で見つめられると自分の浅はかな期待も下心も、全て見透かされているようで恥ずかしくなってきてしまう。たまらなくなって小次郎さん、と彼の名前を呼べば満足そうに目を細めてゆっくり顔が近づいてくる。キスの気配に美奈子は目を伏せて――少しだけ唇を開いて待ってもその期待は降ってこなかった。まだかとおもって目を開ければ満足そうな顔が目の前にあって、小さく笑いながら自分の顔を眺めているのであった。

「かわいいなあ、美奈子」
「もう」

 そんなに緊張するなよ、と御影は鼻先を美奈子の鼻に付けながら囁く。期待と欲情と緊張と、全てがないまぜになった気持ちでいっぱいになってしまって、1センチばかりの唇の距離がもどかしく感じる。はやく私に触ってほしいのに、あとちょっとで留め置くのは昔からずっとそうだ。
 手で御影の首を引き寄せようとすれば、こらこら、といつだかみたいに手首を掴まれてしまう。それだけで既に手首から背筋に電気が走るようで無駄に暴れてしまいたくなってしまう。身を起こそうと膝を立てようとすれば、御影の膝が自分の足の間に挟まって起き上がるのも阻害されていた。

「こーら、暴れんな」
「私だって……触りたいの」

 に、と言いかけて口を塞がれたものだから、最初からぬるりと口の中を蹂躙しようとした御影の舌を軽く噛んでしまった。ぎゅう、と手首に掛かる力の強まりを感じつつ、探索をやめない御影に罪悪感からも従うほかなかった。息継ぎの度に漏れる声に耳まで痺れてくるような心地がして、急に力が抜けそうになってくる。
 わざと御影がリップノイズを立てているのはわかるけれど、緊張してすべての感覚が研ぎ澄まされてしまった今、一番効果的な手段であったかもしれない。いつもしているはずなのに、どうしてここまで今日はどきどきして力が入らなくなるのだろうか、と美奈子は熱の中で思う。

 くすぐったさに身をよじれば、御影も美奈子の上から居住まいを横に戻す。少しだけ他所を流し見るその顔は学生時代からよく見たもので、今の美奈子はそれが照れによるものだと知っている。寝かしつけられるかのように自分の上に置かれた手に子供扱いの余波を感じるものの、その指先が布越しにもわかる熱さなことに子供扱いは形だけのものだと理解していた。
 熱い手が、みぞおちからぽんぽんと自分を宥め賺しながら裾へと迫る。一瞬視線が合って――まばたきをして受容の意を示し――御影はそれに目を細めて応えた。次の瞬間、美奈子の身体にひやっとした冷気が滑る。御影がシャツの裾を捲り、その手を滑り込ませたからだ。

「ふ……」

 在学中よりも堅い指が美奈子の下腹部に触れ、待ち望んでいた感触につい口から歓声が溢れる。また視線が合って――こんどはいたずらっぽい紫の目が自分を見つめていた。

「だって、いっつも……いっつもそこばっかり」
 いっつも、の声が自分でもびっくりするくらい湿度があってびっくりしてしまった。
「知ってるさ。そうしてたんだからな」
 いじわるだなあ、と美奈子は口を尖らせる。知っててこんなふうにこの身体の奥に火を焚べていたのか。臍よりも下の丸みを撫でられる度に、御影の手から熱が移ってさらに火が熾きるようだった。ぎゅうと身体の奥が熱に浮かされて疼く。
 満足そうな顔をした御影は、その長い腕をそのまま少しずつ伸ばして布地の奥を辿る。肋骨の形を撫で、ふくらみに手を添えて指を少しばかりめり込ませた。腕をガイドラインにして美奈子の身体を少しだけ起こしてシャツをたくし上げ、脱ぐか?と囁く。美奈子が首を振れば、そうだな、だなんて言ってすっかり肩までたくし上げきってしまって――こんなのほぼほぼ脱いでいるのと同じじゃないか!――ゆっくりまたベッドに押し戻す御影に文句をつける。

「ほぼほぼ脱げてるじゃないですか」
「じゃあ、脱ぐか?」
「……シャツから小次郎さんの匂いがするからいい」

 はいはい、といなす御影は少し楽しげだった。たくし上げられたシャツからは本当にいつもの御影の匂いがして少し安心するのは確かだ。いつも眠るときに胸いっぱいに吸い込んでいる匂いで、借りているシャツが御影の普段着であることがよく分かる。
 すう、ともう一度目を伏せて匂いを吸いこんだ瞬間、胸に熱くやわらかい感触が走って吐息がすべてこぼれ出てしまう。やわらかくて温かい御影の舌が自分の肌を、舐めている。吸い上げられた刺激は想像よりもずっと鋭くて、背筋に鋭利な快感の電流を流すのだった。不随意に声が漏れ出て息がうまく吸えない。顔が見えないのが僅かに不安な気持ちを煽るけれど、鼻腔をくすぐる御影の匂いにどこか安堵の気持ちもあり、美奈子は不安と快感のなかで自分がふわふわ漂わされているのを自覚していた。

 ちゅう、とわざとらしいリップノイズを立てながら御影は美奈子の肌を食み、一方で手はもう一度下からゆっくりと美奈子の身体を辿る。右手で美奈子の頂点を辿り――舌はもうひとつの頂点を食む。美奈子は与えられる快感に耐えきれず、その波を逃すように足でシーツを引っ張るように泳がせていた。身体の奥の火が暴れてこぼれ出ているようで、お腹だけではなくて全身が熱に浮かされている。たまらなくなって御影の名前を呼んでも、御影は水音を立てながら肌を啄むばかりで一向に美奈子のことを見てはくれない。
 御影の髪が肌を滑り、その束が肌をくすぐる度に新しい電流がぴりぴりと美奈子を灼く。こじろうさあん、と自分が御影を呼ぶ声が思ったよりも頼りなくて、快感の波の中にいるはずなのにその波が大きくなるにつれ寂しさがいや増すことに気付く。寂しくて手を伸ばせば、ふわふわとした御影の髪が指に絡まって、その感触にふと自分に触れてもくれなかった時期の御影を思い出す。豊かな巻毛を撫でつければ御影は嬉しそうに美奈子、と自分の名前を囁き、肌のすぐ上で快感のさざなみを立てるのだった。

 満足したのか御影が顔を上げたとき、既に美奈子は波に揉まれていっぱいいっぱいで、ただたださみしいからとキスを求めることしかできなかった。御影は美奈子の力の抜けた上半身を起こし、シャツの名残をばんざあい、と脱がせて放り出して自分の身体にぴったりとくっつけて抱きしめる。額にキスをして、美奈子の肌に浮いた汗を拭う。
 んん、と美奈子が身じろぎ御影を見上げたときには既に目は潤んでいて、御影はその目に自分の情欲の炎が掻き立てられるのを感じて視線を反らしかけた。こじろうさあん、と美奈子が呼ぶ声で反らしかけた視線を戻して――熱っぽい顔で自分を見上げるのに応えた。今度は唇へもう一度キスをして、自分を求める舌を探り当てる。何度目かの息継ぎに御影は手を美奈子の背から下へ滑らせ、美奈子が残り纏う下着を脱がそうと試みる。レースで縁取られたそれは指に引っかかって美奈子はやだあ、と抵抗の声を上げた。仕方なく御影はもう一度美奈子を後ろから抱き直し、自分の上着も床に脱ぎ捨て、美奈子の髪に顔を埋めながら片手を下腹部からゆっくり下に滑らせた。

 さほど先に進まずともわかる、こぼれた蜜が御影の指を濡らす。そのまま導かれるように指を進めれば小さい声が美奈子の口からこぼれてくるので、いいのか?と再度問えば少し間を開けてうん、と小さい返事が返ってくる。それを皮切りに御影は手ごと下着の中に滑らせて――今度は協力的な美奈子が身を持ち上げたタイミングで、下着を脱がせて足から下ろしてしまう。びしょびしょに濡れそぼっている美奈子の割れ目は下着をも濡らしていて、指摘すれば恥ずかしがるのだろうなと確信しつつ御影は膝から落ちた下着を床に放る。

 滑らかな膝からゆっくり、太ももの柔らかさに指を沈めながら上へを指を辿ればくすぐったがるような声が上がって面白い。美奈子の片足を自分の膝の上に乗せさせ、足を開かせては御影はゆっくりと太ももを辿り――そのまま足の付根を辿り直して温かなぬかるみに指を進めた。片手を下腹部に、もう片手はぬかるみの奥に、探索に応じて小さく跳ねる身体を受け止めながら御影は美奈子の髪の匂いを吸い込む。同じものを使っているはずなのに、よっぽど甘い匂いがする。それは御影にとって心地よく、こうしてなめらかな身体を抱えているのもなお良い得難い経験だった。
 小さな身体は自分が指を深めると熱い吐息を絞り出し、ちいさな芽を擦り寄せれば背中をしならせて快感に身を泳がせていた。進めた指を受け入れる様子に、御影は小さく安心してその続きの可否を問う。

「するか?」
「うん……」

 頷く美奈子を一度立たせ、水でも飲んでこいと御影は囁く。上気した肌の美奈子には必要だろうと思っての案内ではあったものの、その間に支度をしようとしての算段だった。美奈子はふわふわとした足取りでテーブルのグラスを取り、冷蔵庫を開けて中のミントウォーターを注いで御影の方に目を向ける。

「せんせえ、お行儀、わるーい」
「うるせえ」

 足でスウェットを脱ぎ、床に二人分の衣類の山を築く御影に美奈子は口を尖らせる。喉を過ぎる涼しさが却って自分の熱気と、内側の熱を強調させるようで不思議な心地だ。それでも確かに水は飲みたかったな、なぜわかるんだろう、と美奈子は御影の支度を目で追いながらグラスを空け、流しに置いて戻ろうとする。
 ばたばたと支度をしていた御影の横に座れば、口に残ったミントの清涼感で今これからすることが急に生々しく感じられて、却ってどきどきしてきてしまった。初めて目撃する御影の全裸に、そして今自分が何も着ていないことも含めて。さっき抱かれていたときに、背中で十分感じていたはずなのだけれど。

「あ……」

 美奈子、と名前を呼ばれながら、キスに答えればゆっくり身体をベッドに戻されていた。同時に膝裏を掴まれていて、そんなところを触られたことなんてなくてくすぐったくて笑ってしまう。御影もそれに釣られて笑っていて――二人の顔の間で連動して御影の前髪が揺れるのがさらにくすぐったくて笑いが止まらなかった。自分の粘膜に封をされた御影自身があてがわれたときにそのさざめく笑いが止んで、ふとこの人の真面目さを思い出した。

 自分の名前を呼びながら増す質量に、火花が爆ぜるように刺激が広がる。息を吐かないとつらい、と思いつつ自分の喉は言うことを聞かなくて、刺激が声になって漏れ出てしまう。気持ちだけが、身体においていかれてしまいそうだ。さっきもこれが怖くなった瞬間があったっけ、と美奈子は御影に手を伸ばしながら思い出す。御影は自分を目を細めて見ていて、黙って美奈子の伸ばした腕に収まろうとしてくれていた。痛くないか、なんてざらついた声で気遣ってくるものだから胸がいっぱいになってしまう。
 顔が、身体がくっついているとあまり怖くないのかもしれないと美奈子は思いながら御影の荒い息遣いに身体の奥を疼かせる。探られるように探索されては爪先から満足感で満たされていくようで、美奈子は御影の囁きのまま、弾けて上り詰める快感に踊らされ続けてゆく。何度か疼く核心に触れられて声を上げても御影は咎めずにくく、と喉で笑うのみだった。

 何度目かのお互いの絶頂の山を過ぎたあと、全てが終わった頃にはもう全身くたくたで、美奈子は隣に横たわった御影にもたれて息を整えていた。日中もいっぱい出かけたのに、これでは、もう立ち上がれない……と思いつつ隣の御影を見上げれば、顔の近くの髪がいくつか汗で張り付いていていやに色っぽく見える。
 流された視線がいつもよりも困ったように細められていて、美奈子はその視線に焼かれる気分ですら居た。自分の中の埋み火に焼かれて灰になってしまったはずなのに、またその視線が新たな火種となって胸に落ちるのにそう時間はかからない。ちょっと乱雑に髪を撫でるのも、ちゃっかり片手は胸に置いているのも、全て少し経ったら不意に思い出して困ってしまうのだろうな、と美奈子は確信していた。

 バスルームに立つまでは、まだこうしてまどろんでいたいと思いながら美奈子は御影の名前を呼ぶ。どうしたあ、と気だるげな声と擦り寄せられる身体に満足を覚えながら、よんだだけ、と返すのはなかなかうれしくて、どう考えても離れられる気がしないなあと思う。

20211203 chloe first post in pixiv and reprint in 20220601.