鏡面
亡命してきたというその精神科医は、いかにもロシア系と言った顔で隣合わされたソファの左側で座っていた。紅茶でもどう?だなんて気軽さで彼女は席とカップを勧めてきたが、ネイキッドはそれに対してコーヒーを求めて彼女の示すソファに腰を下ろす。
「ええ、いろいろ聞いているわ。あなたが英国嫌いなのも、それから007が苦手で、紅茶よりコーヒー派なのも。趣味嗜好はやっぱり変わらないみたいね」
マリエ・ゴーレヴナと名乗ったその医師は立ち上がってコーヒーメーカーの前に立つ。彼女が座っていた前のマグには紅茶がなみなみと入っていたがそれは随分と冷めているようだった。テーブルの上には過去の資料だろう写真と記事、それから手書きのカルテが散逸していたがネイキッドはそれに目を通すことはやめた。読めはするものの手書きのキリル文字ほど読みづらいものはないし、彼女の他の患者になんて興味が無いからだ。
「で、君は俺にどんな病名を付けたいんだ」
「そこら辺のやぶ医者と一緒にしないで、私はどちらかというとあなたのカウンセラーとして仕事に来ているの」
湯気の立ったコーヒーのはいったマグカップを
マリエはネイキッド・スネークの前に置く。眼鏡の奥の彼女の目は今まで見たどの医師とも同じに光り、スネークの表層ばかりを読み解いているのがわかる。きっと彼女には利き腕から足、目、それから視線の動きなんかも全て観察されているのだろう。あたたかみのある調度品がいくらあってもネイキッドの苦手とする診察のすべてがここにあった。
「そう身構えないで。私のことはどう呼んでもらってもいいし、何語で話してもらってもいいけれど、上が定めた通りの回数だけは診療に来てもらいたいわ。じゃないと私が往診しないといけないのよ」
「では、
マリエと呼ぼう。ファミリーネームは父称か?」
「父の本名は伏せないといけないのだけど、誰の娘かわかってもらえないと困るから亡命した時にこうしたのよ」
一口冷め切った紅茶を口にして彼女は言葉を濁す。ゴーレ・ニェ・モーレ、悲しみは海ではないから…と言いかけた彼女の口に会うことのなかった彼女の父親を悟る。なるほどそれならこのご時世に亡命してきても、それからすぐにこんな所で働いていても合点がいく。しかしザ・ボスの面影は彼女にはなく、弟ともそこまで似ていない。怪訝そうなネイキッドの表情を見てか
マリエはカルテを膝の上に立てて壁を作った。
「あなたのセンセイとは血縁関係がないわ。私は父がN…PCIAにいたときに偶然出来た子で、認知もされてないから」
「それでも父親が誰だか知っているのは何故だ」
「私のところにもずっと小さい頃から父の能力の遺伝があるかどうかって調査がきていたからよ」
母もエージェントだったから聞かされていた、そう言って彼女は何も書かれていないカルテにネイキッドの名前を綴る。Naked Snake,Big Boss,John...事前情報は十分に伝わっているらしい。それから他の身体検査の結果も。個人情報を埋めていく
マリエの手をネイキッドはただ見つめていた。どこかボスと血縁関係がないことに安堵している自分を否定はできない。もし繋がっていたとしたら彼女はあの万年筆を自分に突き立てただろうか、それとも泣き崩れただろうか、そして自分はその彼女を抱くだろうか。
「本当はできるのだけど、母も仕事で早くに死んでしまったから私はずっと黙っていたの。医師になればPCIAに入ることもないと思ったからというのが正しいわ」
だから私は専門医としては天才よ、と
マリエは自嘲気味に笑う。その結果がこの場所なのだろう。彼女の抱える不安は少なくなったようでいて檻に閉じ込められただけなのか、逃げたくても結果逃げられずに同じ檻の中の端から端に移動しただけなのだろう。見透かされてか私は恨みもしないし患者とは寝ないわ、と釘をさされてしまう。
「それは残念だな」
「性依存症の治療もお望みだった?」
「まさか、依存じゃない。本心だ」
性依存症、極度のストレスによるもの。彼女はカルテにその単語をさらさらと書き込んでいく。違うといったのに。
「本心だとしても初対面の人と寝る趣味はないの」
「じゃあ次回以降だな」
どうだか。やれやれと首をすくめた彼女は依然口元に笑みを湛えたままであって、どこか気が咎める気がしないでもなかった。ザ・ボスのパートナーの子供、きっとザ・ボスは知らないだろう子供。
「全く知らない相手に心をひらいてもらおうだなんて思っていないわ。今日は雑談をして終わりたいの」
「それで君はそんな話を」
「基本だわ。尤も、父の話なんて出来たのはあなたくらいだけど」
私の仕事はあなたのザ・ボスについての記憶を癒やすことよ。だからこそなの。そう言って彼女は再び冷めた紅茶を口にした。彼女もまた何かに振り回されているのだ。
「父を殺したザ・ボスを殺したあなたは一般的に言えばわたしのヒーローかもしれないわ」
「ひどい冗談だ」
「あなたはあのことにひどく傷ついているけれども、人の見方によっては正義かも知れないということを言いたかったのよ。個人的には何とも思っていないわ、ジャック」
ふとネイキッドは彼女が何もかも見えているならザ・ボスが、ソローが見えているのかと想像した。彼女を認識していないなら彼女のそばにはいないかもしれないが、それでも自分の元には来てくれているのだろうか。殺した相手のところに来てくれるほどお目出度い人物ではなかったか。彼女はレンズの向こうの目を細めてスネークの表情を伺っていた。その瞳に何が映っているのかは知らない。
「ジャック」
「その名で呼ばれるのは、苦手だ」
「私は軍人ではないし、ここは戦場でもないから、私はなんと言われようとスネークとは呼ばないわ」
ジャック。英語が母語ではないことが透けて見える発音で相変わらず
マリエはスネークをそう呼んだ。言われてみればそうだ、せめてジョンなら、と思えども彼女は知ってか知らずか止めそうにない。その呼び方をされるのはザ・ボスと同じだから抵抗があったのだ。
「ジャック、お酒は嫌い?」
「嫌いじゃない、むしろ好きだ」
「そう。じゃあ今度の診察はバーでしましょう」
マリエは万年筆のふたをくるくると閉めてカルテとともに机に投げ出し、それからソファの中で伸びて足を組んだ。診察は終わりなのか。
「仕事抜きでもう少しプライベートの話をして終わりにしましょう」
「職務怠慢なんだな」
「一度で全部がわかるような仕事じゃないもの」
それに、あなた自身に興味が湧いたの。そう言って肘をついてこちらを見つめる
マリエは眼鏡を外していた。自分の爪先で、彼女の組んだ足先を少し蹴れば下手な英語で今度はあなたのことを教えて、だなんて声がしたので、スネークは先日のアラスカの休暇の話を紐解いた。彼女はアラスカの雪原を知っているだろうか。思い浮かべさえすれば彼女にも見えるだろうかと伺えば、そればっかりは見えないわと囁き返された。彼女は薪をくべた暖炉の前で裸で寝ることの気持ちよさを知っているのだろうか。
20151230 chloe,as a X'mas request 2015
"MGSでネイキッド"