夏の残照
どこか懐かしいような匂いのする公民館のクーラーの下で、私と巽くんはただひたすらにこの3日にも渡るサークルのイベントの片付けをしていた。こどもへのボランティアを掲げるこのサークルに私は去年の春、友達に連れられて何の志もなく入ったけれど、その友達が来なくなっても何故か続いてしまっていたのだ。もともと一人っ子だったからこどもと接するなんて慣れているわけなかったのに、何の因果か子供受けが良かったことと、イベントの係を途中で放ることに抵抗があるだけでなぜか居着いてしまった。いくらか読み聞かせだとか、子供向けの手芸がうまくなったことだけはプラスかもしれない。この横にいる同期の男だけはわたしのことを小学生と同類に思われてるんじゃねえか、だなんていって笑うけれど、最近は面白いと思うからこそ続けていこうかなという気になった。巽くんはもともと地元で小さな手芸教室を開いていたというから本当に活動が楽しいのだろう。今回の夏休みの図画工作ボランティアも彼の発案で開かれたもので、総会で出されたその案に現幹部がじゃあ新幹部世代で運営してね、と彼に指揮を預けたのだから先輩の受けもかなり良い。最も、後輩には怖がられているらしいが、私達の同期が少ないことについても彼の威圧感のある風体によるものだという説もある。実観測でいけばそれは誤りだと思うが。
スチレンカッターやボンドを片付ける前に拭いている私を残して巽くんは長机を黙々と片付けていた。手伝うよ、といえばこんなもん軽い軽いとひとりで長机を振り回すのでどっちが子供だと思いつつその言葉に甘えてしまった。こどもと一緒に船の模型を発泡スチロールで作る大学生なんてなかなかいないんじゃないだろうか。工作は巽くんが、絵画は私が、と振り分けた取り組みは案外うまく周り、同期が少ない中で十分成功と言ってもいいのではないかなあと薄くノズルにまとわりついたボンドを剥がしながら反省していた。
「ねえ、この後打ち上げしよ」
「良いけど、二人で打ち上げかぁ?」
「うーん、昨日一昨日来てくれた1年にも声かけてみるけど、来れなかったら二人かなあ」
「俺は気にしねえよ」
まとわりついた薄い膜のボンドを剥がしきって捨て、私は後輩に同時送信で打ち上げの告知を送る。この一週間は準備でバタバタしていたのできちんと終わった形が欲しかったのだ。それから少しお酒も飲みたかった。後輩がたくさんくればそれは取りやめるけれど、きっと巽くんと二人ならば飲むだろう。
要返信、と付け加えたメッセージを送ってしまったところで、一つだけ作業用に残した自分のいる長机の隣に巽くんはどっかりと座り、徐ろに折り紙の集計をしていた。ここまで体格がいいのに、体育会に入らなかったというのも不思議だ。だいたいどんな競技でも引っ張りだこだろうにと冬合宿の時に言ったら、指怪我したら手芸できねえかんなと笑っていたことを思い出す。同期がだんだん減っていき、進級して同期が私達だけになってしまったことに気付いてから彼は私にクマのあみぐるみをくれたが、彼の手芸、特に編み物にかける気合は大きい。私はそれを電子辞書のケースにつけていた。ささやかなこの強面の同期の優しさを落としたくなかったからだ。
「
島原って絵、上手いわけじゃないのに子供に教えるのは上手いよな」
「それ、褒めてくれてるのかよくわかんないよ」
「やー……褒めてんよ」
ぱらぱら返ってくる不参加の連絡に少し喜んでいる自分がいることを
マリエは隠さない。今日、二人だったら飲んでもいいかな、と言えばしゃあねえなあと声が返ってきた。去年の夏合宿はまだ人がいたからここまで距離が近かったわけではないが、冬合宿といい、新歓勧誘といい、頼れるのはお互いだけであるという気持ちから幾らか心安い関係になっていたので
マリエの二十歳の誕生日以来こうして半年年下の監督者のもとで飲むのが
マリエの通例だった。幸いどちらも大学進学を機に上京してきたから最寄りは同じ駅で、学生マンション街の中というところまでは近いので何の心配もない、というのが大きい。
それに、だ。先週の夏合宿の夜を思い出すと
マリエの指はスチロールくずを熱心に集めるしか能がなくなってしまう。静電気を帯びたそれは
マリエの指から離れようとはせず、散っては集まりを繰り返すだけだった。
新入生は学年の中で騒ぎ、上の学年は就活やら、教育実習やら、集中講義やらの情報交換でまとまっている中でぽっと
マリエは夜風に吹かれようと一人で宿を出ていた。ひなびた海の近い温泉街だったので、川なり海の近くのベンチにでも座ってゆっくりしたかったのだ。暑いし途中のコンビニでアイスでも買ってしまおうだなんて目論んでいた。去年は皆で、日の出を見に行こうだなんて盛り上がって結局全員寝てしまったっけ。
海遊び用にと一応持ってきたサンダルに足を通した時、飲まないくせにチー鱈を手に持った巽くんと遭遇したのだ。そして何故かついてきて、宿から一番近い浜の護岸の上のベンチまでついてきたのだった。
「夜に海は危ねえぞ」
「うーん、でもなんか、夜風に吹かれたくて」
「しょうがねえなあ」
私達の共通の話題は、本当は思ったよりも多い。学科も同じだし、学年も同じ。第二外国語も同じだし、家も近いからよく使うスーパーも同じ。ただ出身の地方は違うし、彼にはこの大学にかなり親しい地元の先輩がいるらしいことも違う。私は同じ高校の友達はいても、親しい先輩が在学していただなんてことはなかったからだ。事実これに助けられている面は多少なりともあった。唯一の同期に心安い気持ちだったので、私は彼の言うしょうがねえなあ、をオウム返しにしてついてくることを望んだのだった。
「巽くんがいるとだいたい怖そうなとこでも行けるからいいなあ」
「俺はボディーガードか何かか」
「いいじゃん。ホントは真っ暗でちょっと怖かったからありがたいよ」
海の近くにぽっと立っていた自販機で私はソーダを買う。気乗りがしなくて今日はBBQのときにビールを一杯しか飲んでいなかったのに、さっきの宴会の中で飲む気がしなかったのだ。それよりこういうかわいいソーダな気分で、レモンの味がする炭酸に少し救われる気持ちがした。
「居てやるからお前はもっと気をつけろよ」
「わあいやった、巽くんてホントは優しいよね。だから好き」
「すっ……」
カシュ、と音がして隣でもソーダの缶があいた音がした。威勢よく飲む喉の音が波の音よりも大きく聞こえるのがなんだかおかしくてつい笑ってしまったら、ソーダを飲み干した巽くんはそのまま私の前に立った。海の音、月のあかり、自販機の蛍光灯、それらに囲まれた体格のいい同期。
「俺も、すっ……好きだから、危ないことはやめろって言ってんだよ」
「……わたしのことが大事って言ってるの?」
「おう」
逆行で顔色は見えないけれど、刺さるような視線を感じて私は顔を見上げる。やっぱり背が高いなあと思いながら私は缶をベンチに置いて、目の前に立つ人の前に立った。
「嬉しい」
そのまま応えるように目の前の人を抱きしめたら、まるで彫刻みたいに固まっていたけれど、少し経ったらふいに肩の上に手を乗せられていたのでそれもまた嬉しくなった。それからすこしそのままいくらか他愛無い話をして、その日は何事もなかったように宿に帰り、少しだけ宴の後の空気を吸ってから寝た。
その日だけじゃなくて、それからも何事もなかったようにイベントの準備をして、実働をして、今に至る。あの日はお互いに興奮しただけだったのかもしれないし、月に拐かされていただけなのかもしれないと思いつつ、指に発泡スチロールのくずをまとわりつかせたまま
マリエは完二の方を向いた。不本意に視線が合ってしまって気まずい、と思えば完二は
マリエの発泡スチロールだらけの手にあーあ、と声を上げつつ台拭きでそれを拭った。
「あ、ありがと」
「で、どうなんだよ、出席の方は」
「うーん、不参加の山だよ。まあみんな忙しいから今日も来れないっていってたし、しょうがないけど」
「そうか。じゃ家で飲むか。暑いし」
うん!と返すとじゃあスーパー寄って帰ろうなあ、とにこやかに返された。他意のなさ。少しさみしいような気がする。未だに私は巽くんとしか呼べないし、向こうも私のことを
島原としか呼んでくれない。先週と今週の差は殆ど無いのだ。
備品を箱にしまって、次回の活動の時に部室に持っていけるよう手提げにいれて一旦持ち帰ることにした。集計途中の糸だとか、折り紙なんかもいれてくれと頼んで私は一瞬借りている会議室の外に出る。時間は全然迫っていない。それだけを確認し、落とせる電球を切って私は再び長机に戻る。
机に向かう広い背中に、私は少しばかりいたずら心が働いて自分の体をその背に預けた。ン?!おい!と声がするのを無視して私は彼の肩に顎を乗せ、きれいに筋肉のついた巽の腕に自分の腕を添えた。
「ねえ」
完二は作業を続けるでもなく、手に折り紙を持ったまま微動だにしない。すこし汗の匂いがして、今日が真夏の一日であることを思い出した。自分からもするのかもしれない、失敗した。
「か」
「……おう」
「完二って呼んでも、いい」
「……おう」
私は真横で響いたその返事を確認して、身を離す。それに振り向いた巽が赤面していたので、ちょっと恥ずかしいことをしたなあと思いつつ私はその隣に座り直した。無言の空間に赤い鼻血が落ちるまで、私たちは随分と黙って指だけを動かしていた。うわ、と隣の巽が声をあげて鼻を押さえる絵はなんとなく既視感があったけれど、先週はそんな風景を見ては居ないので、また別の時かもしれない。先週としたことはあまり変わらないのにねえ、と言いながら
マリエはティッシュを手渡し、本当は先週も部屋で一人で対処したとの完二のコメントについうっかり笑いを漏らしてしまうのだった。先が思いやられるなあと思いつつ、どさくさに紛れて大丈夫、完二、と名前を読んだことに気付いてか、完二はずっと
マリエの顔を見ていたので、どんな顔をしたら良いのかわからずに
マリエはもう一度だけ完二、と名前を呼んで、顔を伏せる。
先週よりなんか、柔らかくてビビっちまったという言葉を不意にスーパーで発する男を黙らすために、
マリエは強引に手を繋いだのは想定の範囲外だった。夏は暮れるが、まだまだ大学生の夏休みはこれからも残っている。
20151209 chloe,
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星が水没