共犯者

 岸辺露伴の作画と、それから人遣いが一番荒かったのは彼がデビューして2年目の18歳の時だというのは編集部の中では有名な話である。その前後は変わらず、ただ数年後に怪我での休載や家財を失うことはあっても別段作画も人遣いも荒れることはなかった。その18歳の時までに担当は年に数人、半年も持たずに根をあげて変わっていたが、6人目の担当以降は一度も変わらずに連載6年目を迎えたことは記憶に新しい。彼が落ち着いた理由は、彼が学生でなくなったからだとみる人間も、親の保護下から逃れたとみる人間もいたが、彼の担当はそれが数ヶ月に一度届く手紙であるということを唯一知っている。ジュネーブの消印で届くその横に長い封筒には流れるような筆跡でKishibeと書かれていて、彼の担当はそれが来るたびに打ち合わせと称して東京からはるばる杜王町まで出張を組むのだ。

「ああ、今回もありがとうね」
 受取人は相変わらず慇懃無礼にその封筒を受け取っておもむろに茶を出した。彼は原稿の提出こそこんな待遇をしないが、この時ばかりは別で、ペーパーナイフと一緒に応接間で待っているのである。彼の家の雰囲気を見れば連絡してから作業をしていなかっただろうことがわかる。インクの匂いはせず、少しばかりいつもより家具が拭かれているからだ。
「確認したからこの件はもういい。それで他に何かあれば受け付けるけど」
「夏休みの日程を決めましょう」
「いいよ…そんなのは他の人との兼ね合いで」
 いつもの原稿の提出では出てこないような台詞だった。少し無茶なお願いだとかを飲ませるにはこの機会を待つべきだ、というのが担当某氏の独自理論であったが、彼は初回のこの打ち合わせ以降担当を変えろとも言わないので他人に伝わることはなかった。
「それだと早めに取っていただきたいんですけど大丈夫ですかね」
「ああいいよ、いつだっていい。……そうだ、前回から3冊は単行本が出ただろ、日本語のでいいからこの住所に送り返しておいてくれ」
 だいたいこの打ち合わせはその一言で終わる。岸辺露伴は自ら小包を送ることはしない。おかげさまで業務上必要だからといって海外郵便の制度や料金、それから海外送金の知識を得たことももし担当が変わるなら引き継ぐべき事柄だろうとは思っている。尤も最後の事柄は岸辺露伴が18の秋に調べて伝えたきり必要が無いので、郵便の制度なりだけで良いのだろうが。すっかり日本と逆の住所の書き方に慣れてしまったが、きっと担当が変わって間違えようなら手紙からそれは岸辺露伴に伝わって不興を買うことが目に見えている。

---

 岸辺露伴の元に海外からファンレターが届くことはさして珍しいことでも無い。かといって流通の都合上、英語ですらないそれを岸辺露伴に渡すのも機嫌に左右されるからという理由で彼の3人目の担当からは全て開封して翻訳業者に頼んで和訳をつけてから渡すことになっていた。6人目の担当もその慣例に倣い、担当して3ヶ月目にして4通も溜まっていた日本以外の消印のそれをまとめて封を切っては業者に頼むためにファイリングしていた。その時も相変わらず横に長いジュネーブの消印の封筒があって――思えばこれが初回だったのだが――それを開けば日本語がでてきたのでほっとしてそれを封筒に戻しかけたのだ。やたらと厚いその手紙は半分だけ日本語で、下手なひらがなでおにいちやんへ、という書き出しなのが担当の目に留まって彼は次の瞬間には電話を取って岸辺露伴にかけていた。すぐに編集部まで取りに行く、という岸辺露伴を進行上宥めて即日で打ち合わせと称してカフェに行ったのもこれが初めての機会だった。そもそも彼は締め切りを破らないので、急いだことなんてない。翻訳の上がっていないものは放っておいて、その問題の手紙とあとは飲ませたかった増刊の読み切りの資料を掴んでタクシーを呼びつけ待ち合わせ場所に急いだ。勿論領収書を切ってのことである。

「それで、ああ早く手紙をくれないか」
「先生やけに大慌てですね」
 彼の指定のカフェでやけに慌てて岸辺青年はコーヒーを二つ頼んでいた。オーダーをするや否やそうさらに慌てて手紙を要求し、手渡せば開封したことを咎めるでもなくため息をついて次回からはこの手紙だけは分けてできるだけ早く届けてくれないか、と注文をつけた。他の手紙と一緒にしないでできるだけ早く、できたら内密にくれ。
 コーヒーが届けられてもなお岸辺露伴はそれに手をつけることなく手紙を食い入るように読んでいた。5分ばかり読んで、日本語でないセクションに至ってからその手元からやっと視線を上げ、コーヒーを口にした。
「悪いけど、続きを翻訳に回して欲しい」
「わかりました、来週とかに上がってくると思うんですけど」
「それと色々頼まれて欲しいんだ、申し訳ないんだけどさ」
 岸辺露伴は日本語の部分だけを抜き取ってポケットにしまい、それから翻訳の必要なページだけを畳み直して封筒にしまって担当に返す。考え込むように彼は目を閉じていた。
「僕と共犯になってほしいんだけど」
「……それは漫画の話ですか」
「いや……この手紙の話だよ。これはマリエ……妹からの手紙で……僕には歳の離れた妹がいるんだけど……あと妹がいることも含めて全部君と僕の秘密にしておいて欲しいんだけど」
 岸辺露伴は目を開けても視線を上げずに砂糖壺からふた匙もカップに砂糖を投げ入れてかき回したままである。共犯、先々週の連載の打ち合わせで聞いた単語だ。
「僕は妹が成人するまで接触禁止がでてるんだ、まあ、家族のルールだから法律には触れない」
 だからこの手紙も直には受け取れないし、会えもしないんだけど。ガチャガチャとらしくない音を立てて岸辺露伴は砂糖を溶かす。
「僕の原稿料は彼女の学費になっていて、それは僕の親経由で渡ってるんだ」
 ガチャンと岸辺露伴はスプーンを引き抜いてソーサーに置く。そしてそのままいかにも甘そうな黒い液体を再び口にして言葉を継いだ。
「まずはそれをどうにかして僕から直に出したいのと、それから手紙の私書箱になってほしいんだよ」
 今までに見たことのない笑顔で岸辺露伴はそう言い放った。いつも不機嫌で、1を聞く前に10を言って干渉させない人間が頼みごとをしている、それだけで貴重であるのにさらに笑っている。気味が悪いとすら思いながらも担当はコーヒーを口にしてからそれを了承する。
「海外送金のやり方を調べて欲しいのと、費用は僕が持つから…多分実家から送金してると手数料がすごいことになってるだろうから、会社経由でなんだかんだすると安いから切り替えると電話で言いくるめて欲しいんだ」
「はあ、実際は送金は先生がするんですね?」
「勿論だよ。まあ、やり方を知らないけどね」
 全部任せたよ。そう言って笑顔の岸辺露伴は甘ったるそうなコーヒーを飲み干した。彼のコーヒーのペースは機嫌と左右されているのはまことしやかに引き継ぎで聞いていたが、それは真実かもしれない。
「じゃあ諸々をまとめて来週の締め切りまでにこちらも準備を上げておきます」
「うん。助かるよ」
「……そこまで妹さんと何があったんですか?」
「笑うなよ」
 僕たちは愛し合っているんだ。自分の年齢の半分ほどしか人生を経ていない青年はそう言って、いつものように腕を頭の後ろで組んだ。理解が追いつかないまま増刊の読み切りの話を忘れた6人目はそのまま会社に帰ってその事実に気付き、翌週までのタスクの下に資料を据えて翻訳業者宛のファイルを開く。僕たちは愛し合っている、それから接触禁止、確かにこれは共犯なのかもしれないと思い、7人目に変わることは当面ないのだろうと悟った。

 6人目は、翌週の定期的な連載の原稿回収に再び岸辺露伴が一人で住むアパートの前に立っていた。なるはやで、と特急料金を上乗せして頼んだ手紙とその訳文、それから増刊の読み切りに関する資料、彼が先週に頼んだ海外送金だのなんだのの資料がその鞄には入っている。勿論ジャンプの定期連載の回収用の封筒も入っているし、アンケート結果なんていう普段のもの――岸辺露伴は全く興味のない有象無象の感想の統計結果――も入っていたけれど、今回の内容から行けば一瞬目を通されるだけで終わるだろう。
「はい、私岸辺露伴先生の新しい担当になりました……と申します。はい、はい今後もよろしくお願いいたします。今回ご連絡いたしましたのは、はい、先代の担当が欧州事務所に異動いたしまして、岸辺先生のお話を聞きこちらからご提案がございまして……」
 岸辺のアパートの固定電話で彼の実家に電話をしていた。これはあくまでこちらからの提案であるということ、彼の先代の編集によるものであることを強調したが、彼の先代は別に欧州事務所になんて異動はしていないし、勿論今もなお一ツ橋で机に向かっている。我々としても安定して優秀な先生のお力に沿いたくて、だなんてどこまでも口から適当な甘言が溢れいていた。目の前の岸辺露伴は訳文に目を通しながらなお自分を冷ややかに見ていた。
「ああ、ありがとうございます。それではこちらからお振り込みにつきましてお伺いのお手紙をお送りしますのでご返送いただけますと幸いです」
 やりきった、と思って電話を丁重に切ると岸辺露伴はついに手紙を読み終わったのか視線をこちらに向けていた。珍しく足は組まずにいる。
「よくもまあでまかせが出てくるね」
「先生のご指示でしょうに」
 成功ってことだね。彼は訳文を元の封筒に閉まって握手を求めてきた。それに応じながら6人目はいつもと同じダイニングのソファに腰掛け、鞄の中から詰めてきた書類を机の上に広げる。
「この分は、増刊の読み切りを受けて貰うことで回収させていただきますからね」
「参ったな」
 あとこれが海外送金の資料で、検討と手続きは先生のほうでおねがいしますよ。そう言って渡すもの、回収するものに分けて六人目はテーブルを仕切る。いつも条件を飲ませるにはどうしたらいいのかという蓄積が5人分溜まって引き継がれていたけれど、そんなのに載っていた情報も手法も1つも使わずに6人目は増刊の読み切りを飲ませたことで後期の査定にプラスが出たことは後々判明する。ともかく、この共犯の関係を築いて以来岸辺露伴は比較的画、人格ともに荒れることもなく淡々と毎週遅れることなく原稿を出し、単行本を出し、ときには賞を得つつまともな、担当によっては扱いやすい若手漫画家として知られるようになったのである。
 岸辺マリエの口座を知るまでにはそれから約1ヶ月を要したが、増刊の原稿を受け取る頃には再びジュネーブからの封書が編集部に届いていたので担当は再びタクシーを飛ばして岸辺のアパートに駆け込んだ。反応からいけばそれはすべて目論見が成功したとでもいう顔で、さらに子供向けの日本語の教科書を探してここに送ってくれ、と言い出したので6人目の担当は外国語に強い同業他社の同期の間をまた巡る羽目になったことを記しておこう。
 岸辺マリエ、売れっ子漫画家岸辺露伴の妹は現在日本に住んでいないどころか兄である岸辺露伴との接触を絶たれていて、それでいて彼の原稿料で勉強しているらしい。それから彼の手配させた荷物から行けばもう彼女の日本語はおぼつかないのかもしれない。それは手紙の文頭の文字でも若干伺えたが、それ以上のことを聞く気にもなれないままただただ編集部の彼の机は私書箱としての性格を帯びてきたのだった。岸辺露伴は直に手紙を送るけれども住所を編集部としているらしい。そこに若干の接触禁止への抵抗があるのかもしれないが、愛し合っているんだの語にそれ以上深追いするにはまだ岸辺露伴本人への理解は足りなかった。

20160107 chloe, as the "innocent incest incident" #01