子どものような夢を見た
老いた男が自分の名前を呼びながら息絶えたところを
マリエに目撃され、彼女が泣き崩れて自分の手も跳ね除けたので呆然と立ち尽くす夢を見た。一般人だとしたらついでに殺しておくべきであって、しかし彼女は自分の職務を知っているし、広義の同業者であるし、と思って逡巡した結果手を掛けかけた所で目が覚めた。夢見が悪い、と思っていっそ起き上がって水を飲みに行こうとすれば、妙に背中が冷たくて汗をかいていたことがわかる。こんな夢ははじめて見た。ベッドに既に
マリエの姿はなかった。ブラインドを開けて外を見る気になどなれなかったが、時計は外はまだ暗いことを指していた。
着ていたシャツを脱いで新しいものに袖を通し部屋を出る。ダイニングへの道すがらカゴにシャツを投げればそれもカゴに届かず歯がゆい気持ちになる。朝になってから直せばいい。起きる前からなんとなくうまくいかないからはやく再び眠ってしまいたいとすら思っていた。何分このまま寝ては翌朝も繰り返すだけかもしれないが。行き場もなければ名状しがたい気持ちをはやく水で丸めて飲み下してしまいたかった。行き先のダイニングには明かりがついていて、恐らくいなかったであろう
マリエはそこにいるだろうことがわかる。驚かせたらいけないとドアを音が鳴るように開ければ低いソファの上で彼女は本を読んでいた。視線だけはこちらに向けられている。
「起こしてしまったかしら」
「いや、そういうわけじゃあねえ……」
「来る?」
ソファの上に投げられた足をおろし、
マリエは問う。プロシュートはそれに返事はしなかったが、グラスを手にとって水を注いで、一杯飲んでから再び水を注いでその開けられたスペースへと拠点を移す。目の前のローテーブルには読みさしでしおりの挟まったペーパーバックと飲み差しでティーバッグも浸かったままのお茶が置かれていた。その隣にグラスをおけば、いつもの夜のように
マリエはその身をすこし隣に座ったプロシュートに預け、手をその膝の上に乗せる。
「いつもより顔色が悪いわ」
「体調は悪く無い」
いつものように膝の上に乗った手を取るのは躊躇われた。跳ね除けられた手がまだ身近に思い出されるというのもあれば、直に手を握ればさっき決断しかけたことも容易く達成できるからだ。そんなことを考えているだなんて知らないであろう
マリエは向こうから手をとってこちらを見上げてくる。馬鹿げたことにうなされていたものだ、さっきのは単なる夢であって、今は現実で、仕事中ですらなければ
マリエを手に掛ける必要もないのだ。
「久々に悪夢を見た、ガキじみたやつをな」
「私も変な夢をみて起きちゃったから、同じね」
だから着替えているのね、と
マリエは触れる手をプロシュートの手から腕に映しながらもたれかかる。こっちのほうの色が似合うわ、とグレーのシャツの表面を撫でながら彼女はその腕に頬を寄せては眠たげに寄り添ってきたが、もう片方の腕をプロシュートの腕に絡ませると手をはじめのように同じ形のところに戻した。
「慣れてなさそうね、私はよく見るけど」
「少なくともここ数年では覚えがねえな」
「いつも機嫌良さそうに寝てますものねえ」
かわいいところもあるのね、と言いながら
マリエはプロシュートを見上げて笑う。よくわからないことを言っていると思ってプロシュートが眉を寄せればさらに笑うので、空いている手で自分の手を撫で回す手を捕まえてしまった。それでも一向に
マリエは黙らない。
「一緒に寝ましょうね」
「子供扱いをするんじゃあねえ」
「怒らないでってば」
絡んできた腕に力がこもる。別に怒ってるわけじゃあないと捉えた手を離して髪を掬えば知ってるわ、だなんて可愛げのない言葉だけが返ってくる。彼女はプロシュートの肩に顔を埋めていて、弁明のために表情を伺うにも伺えずそうする他なかったのだ。
「いやでもね、私も一人で寝たくなかったから、起きてきてくれてちょっとだけ嬉しい」
「ガキはどっちだ」
「きっと私のほうね」
それから
マリエは居直って、ソファの上で膝立ちをしながらプロシュートの首に腕を回した。下ろした髪の先に
マリエのシャツが当たるのもなかなかない感触だと思いながらプロシュートはそれを許していた。普段耳に掛かるのも嫌で上げているし、髪と何かが接触するのは得意ではない。得意ではないはずなのにこの女はいつも家でそれを外しては指を通すが、それは別に得意でも不得意でもないと感じているのは許容範囲が広がったことなのかもしれない。定かではないが、思い浮かべる限り他人にされたいとは思わないのだから限定的な広がりなのだろう。
「子供だからお気に入りのぬいぐるみでも抱っこして寝ようかな」
「いい度胸だな」
「抱っこしてくれてもいいけど、パパーに抱っこしてもらって寝た記憶が無いからきっと落ち着かないわ」
嫌なら止めるけど、と言う
マリエの背に手を回してそれを甘んじて受け入れることにした。似た境遇なのかと思えども、自分にものを抱いて寝る習慣はなかった。ぬいぐるみ扱いをする割にベッドに連れて行ってというのはなかなか舐めているとも思うが今更指摘する気にもなれず、明かりを落として、机の上をそのままに寝室へ帰る。まるでいつもと逆の姿勢で彼女はプロシュートの頭を撫でながら目を閉じて寝る努力をしていた。ぬいぐるみのロールプレイをすべきか、いつもの
マリエのロールプレイをすべきか逡巡して指の感触を受け入れるうちに、プロシュートは再び意識を手放していた。翌朝はすっかりいつもどおりの姿勢で、
マリエはプロシュートの腕の中にあって、あの夜も夢だったのかと一瞬錯覚したが、カゴから外れて落ちていたシャツと、ローテーブルの上のカップと本、それから続けて起きた
マリエのすこし恥ずかしそうなボンジョルノ、にあれは現実のものだったと認識しなおした。子供でもなく、老いた姿でもない普段の大人の
マリエはいつもどおりにキッチンに向かい、トーストを切りながらプロシュートにコーヒーをせがんだので、プロシュートもいつもどおりにそれに応え、額に挨拶を返す。
20151219 chloe, as 白い器とナイフとフォーク #4
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まよい庭火